RE 元カノの話を聞いてヘコむほど飼い慣らされてなんてあげない / いまどきはどこもかしこもスケルトンいともたやすく奥のほうまで
元カノの話を聞いてヘコむほど飼い慣らされてなんてあげない #短歌
— 朝倉冴希@短歌 (@dassan34) November 9, 2019
「飼いならされてなんてあげない」は、距離感かなって受け止めました。
なんでも話し合える関係性は比喩みたいなもので、信頼関係とか安心感のことだと私は考えています。
元カレであれ元カノであれ、包み隠さず話す側は楽だけど、聴いて胸に収めてまるごと受け入れる側は大変ですよね。それぞれの正解があるから、話したい・聴きたい人を止めはしないけど、私は話さなくて良いこと・聞かなくて良いことってあるかなあと思っています。
そのカードは通用しないからね! というか、花と棘というか、チャーミングな作品だと感じました。水面下でのジャブの応酬というか。関係性に季節があるとしたら、一緒に歩き出すかどうかって時期かなあ、なんて思うのでした。
いまどきはどこもかしこもスケルトンいともたやすく奥のほうまで #短歌
— 朝倉冴希@短歌 (@dassan34) November 9, 2019
こちらは、スケルトンから想わされることの幅が広くて、味わい深いです。
スケルトンな作りから、情報と可視化を連想します。何がスケルトンなのかを考えるのも楽しいですし、どこのどれくらい奥なのかも、また。
また、詩歌・短歌って「音」でもあるから、音読して、リズムの良さも楽しめますね。
キリッとしてイナセな感じがします。