短歌読みます、うたあつめ。

拝見した短歌への、返歌や感想を書く、公開ファンレターです。

RE ほんとうは 誰もいないと思ってた 誰もいらない だけだった

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どういう状況なのか説明する必要がないのが短歌の強みですね。

「誰もいない」と「誰もいらない」という言葉の対比が、とても鮮やかだと感じます。

 

私には誰もいない→誰もいらない、であるなら、孤独とか拒絶かもしれないですよね。

あるいは、すごく疲れていて、そっとしておいて欲しいとき。

 

「ここには」誰もいない→誰もいらない、であるなら、「この場所は誰も必要としていない」ことに主体が気づいたことになるので、つまり空気を読んでみたら、この場所は誰の居場所でもなかったって受け止めもできるかなと思いました。

 

「誰もいない」「誰もいらない」も、主体「たち」以外はというケースも想像はできます。「私達がいればお互いにOKだね」ということもあるかもしれないけど、「私達は気づいたら、お互いにいらなくなっていた」ってことも起きうるので、後者だとしんどいですよね。

 

誰もいないからの、誰もいらないって、なんだかとても心に刺さります。

RE 照明の行く手斜めに木が進み 逆光にある無人の遊具

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私の親の世代、祖父母の世代はさらにですけど、昭和50年代に子どもだった人間としては、現代の基準だとかなり危険な遊び場所がありましたね。公園の遊具もそうですし、「秘密基地」作る空き地もまだありましたし。

怪我はしましたけど、大怪我はしませんでした。うん。

 

だから、作品に戻ると、ぼんさんの視点にはしみじみ共感します。

 

無機物の遊具が「寂しい」とか「存在意義」を自分で考えたりしないはずなのですけど、小さな子が遊ぶために生み出されたわけですから、本来回転するはずのものが回転できないですとか、夜だから人がいない公園で冷たい風に吹かれている遊具とか、なんともいえない哀愁を感じます。

 

カメラが好きな方は、被写体の一つとして遊具を選ばれることがあるのですけど、こうして短歌として言葉で切り取っても味わい深いものですね。

RE ついて来ておいでおいで近くまで これを一粒とっておくれ

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「ごはん無いよ」とか「まだ?」とか「こっち」って人を誘導するとかは経験ありますけど、そうかあ、「食べさせて」って子もいるのですね。勉強になりました。

 

ぼんさんのテキスト部分を拝見していなかったので、作品だけ見ると、主体は「人」なのかと思ってしまい、ドライフード・カリカリを食べてよ、あげるからおいでよってことかなあと思ったのでした。でも、「一粒とっておくれ」がイメージしにくいですから、「はて?」と思い、テキスト部分を見て理解したところです。

 

「食べさせて」と、猫に言われたら従うしかないですねー。

言われてみたい人生でした。

RE 肉体が先走ってはいるものの三十までには追いつくだろう

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 「先細る」ではなく「先走る」ですよね?

30歳までかけないと追いつけないくらい、早熟もしくは鍛えた・結果が出ているということでしょうか。幼さは残るけど、べらぼうに強いアスリートくらいしかイメージ出来ませんでした。

 

問題は、岩倉さんは魂はとんがっていますが(ロックな感じというか反骨心がアクティブというか)、インドアなイメージなんです。だからこの作品は、30歳までには追いつく何かという「10年も必要なギャップ」も不思議ですけど、それ以上に岩倉さんが詠まれたことに驚いています。

 

 いや、それより何より、「肉体が先走る」って表現自体、初めて目にした気がします。

 

作品に戻ると、主体は何かを(おそらく二十歳になった誰かを)評価していますよね。その眼差しが、例えば「少し待てば落ち着くかな」とかではなく、10年単位で見てあげる点が、優しいと思います。だって、10年待ってくれる人って、なかなかいないですもん。ためしに、自分が10年待てる相手とか、10年待ってくれそうな方はいるかなと、顔を思い浮かべてしまいました。

 

0じゃなくて良かった。

RE 磨ケバ消エルヨウニ磨イテイタ ワタシハ割レタ鏡面ニイテ

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いいですね。すごくいい。

ぼんさんのblogのテキスト部分も拝見すると、この作品はフィギュアスケートから着想を得たことが分かります。

「割れた鏡面」が「ある」のではなく「いる」のがぼんさんの世界ですよね。薄氷を踏むという表現はありますが、すでに割れてるわけですからもっとしんどい。

かつ、磨いても割れたものは元に戻らないですが、その前提をいじってみようかと、因果律から自由になる視点、想像力という翼の膂力が強いですよね。

 

僕らは一つ以上、誰でも、磨いて消せるなら消したい何か、あるいはやり直したいけどやり直せない何か、取り返しのつかない何かを経験したはずだし、これからも経験していくのでしょう。そこからは自由になれないです。

でも、短歌のような詩歌でもいいし、他のアートでもいいのですけど、イメージすること、表現に昇華することで、本来自由になれないはずの、この窒息しそうな息苦しさから、ちょっとだけ自由になって一息つけるように思うのです。

 

ぼんさんが応援されている選手の方が、もしこの作品に触れたら、どんなふうに思われるでしょうね。「そんな視点もあるんだね」と、ストレスが軽減されたらいいなあ。

RE アルコール消毒してもこの体 綺麗にならず火照っていくだけ

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性別の違いは文化の違いもあると思うのですが、男を生きてみて「けがれる・けがされる」(アルコール消毒しても綺麗にならないから連想)って感覚は、たぶん経験していないですし、想像することしか出来ないかもしれないですね。

皮膚感覚で理解しにくい。

 

アルコール消毒で象徴される方法できっちり対応すれば、顕微鏡で観察できるような意味での「綺麗」あるいは「清潔さ」は保てる場合が多いかと思います。そうではなくて、主体が「綺麗にならない」と感じるのは何故かのほうが大事ですよね。

 

なんらかの拭い難い事柄があって、それでも「火照っていく」というのは、恋愛というリングの上でじつに勇敢で情熱的な作品だと、私は感じました。

RE チルチルと樋をすべる雪の上 ヒナカマキリが回っている

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童話から抜け出したような情景ですね。

雪の上で滑って転んで困っている感じよりは、珍しい雪、もしかしたら一生で一度きりかもしれない雪を楽しんでいるのかなあと思わされました。

 

昆虫の目を通した世の中って見え方が違うはずですよね。

まして、時間の感覚も異なります。

体のサイズも力も違います。雪も、私達にはパウダースノーに見えても、昆虫には、ザラザラごつごつした巨大な粒子かもしれません。

 

主体がイメージした・観察した何かを通して、そこに登場するヒナカマキリに「どんなふうに見えてる?」と話しかけたくなりました。