短歌読みます、うたあつめ。

拝見した短歌への、返歌や感想を書く、公開ファンレターです。

RE 明らかなレトルトカレーをレトルトと言わない方の幸せを取る

 

これ、色んな鑑賞ができますよね。

単純に、お料理苦手で、バレないと思った付き合いたてのパートナーかもしれない。

お料理苦手で、近所のスーパーやコンビニで買ってきてもてなすのも無理で、「レトルトカレーでごめん。でも、お腹すいてるんでしょ?」みたいな状況かもしれない。

 

恋愛関係以外も人間関係はあります。例えば、相手がお年寄りなら、「出来たことができなくなった」のかもしれない。「あれ? レトルト使ってました?」みたいなことも起きる。ここはむしろ、レトルトの話題を広げても幸せかもしれない。

 

そして、「レトルトカレー作れるくらい成長・回復したね」って状況。どちらも喜びだけど、「回復」に関しては、何らかの事情で、出来たことが失われて、「温めるだけ」がどうしても出来ないことを乗り越えたはず。

このパターンだと、「出来た」ことの喜びにフォーカスするから、明らかなレトルトか否かは横に置けてしまえるかもしれないですね。

 

恋愛関係に戻ると、「なんかない?」「変な時間におなかすいちゃった」って言える関係性と、「レトルトカレーしかない」って出せる関係性って、遠慮しすぎないほどよい距離感のような気がするのでした。

 

大丈夫、レトルトでも愛情は減らない。

RE 夏の夜 虫は鳴く道 コンビニへ 冷やし中華 と ビールを買いに..( ・_・)

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寝付けない夜、涼しければ星を数えてもいいですけど、亜熱帯化した状況では星を見るより街のオアシスが先ですよね。暗い夜、輝いて見える場所。実際、明るい。

 

アルコールは、無くて平気です。お食事と合うのかもしれないけど、私はおつまみだけでいいし、「ウーロン茶で酔います!」って参加して、酔って変化していく親しい人を観察するのも楽しかったりします。

 

ビールよりまっこりかなあ。カルピスサワーとか、甘めのお酒が好きです。焼酎はほんとわかんなくて、自信もって勧めてくれた美味しい焼酎がピンと来ませんでした。そのあとの、しめのラーメンは美味しかった。

 

冷やし中華は、80年代の食卓を思い出すと、「家でも作れる」ようになった新しいものだった気がします。まだ土曜日は半日学校あったし、両親が仕事で忙しかったので、冷やし中華とか焼きそばを自分で作るハイスペック小学生でした。

今は料理しなくなりましたねー。

 

掃除・洗濯・炊事だと、まずは洗濯しないとですし、寝ないと体もたないですし。

眠れない夜に、冷やし中華とか、弁当のお惣菜の作り置きストックとか、作る心の余裕が欲しいです。

心の余裕あっても、コンビニの引力には負けるかもしれませんね。

 

楽を覚えてしまうと、後戻りはできない。

文明ってこわい。

RE 放たれる君は知らない雲という 水蒸気には影があること(# ゚ Д゚ )

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雲と霧とか、空気に水分が含まれているから遠くが白くなることとか、そもそも「気圧」が全員にかかってることとか、物理の時間に習うことって不思議なこと多かったですね。

 

「どうりで肩がこると思った」って、君は肩こりと無縁でしょってキャラだから失笑買って盛り上がって、クラスが温まったのを見守った上で、理科の先生が「毎年、それ言う人いるよ。みんな等しくだからね?」って、塩対応してたなあ。

……。

 

しまった。塩対応してた面白い先生、いつのまにか年下になってた><

水蒸気に影があることよりも、自分が年取ったことの方がショックかもしれない。

だって、なんていうか、「最近の若い人は」って言わなくなったし、私から見て「君、若いし」って思う方が「最近の若い人はって思う→最近の若い人はって言ってる→」って感じの無限マトリョーシカみたいなことになってるし。

 

人柄やキャラ・個性に「影」は比喩としてある。

物理的なパーツ、それは脳でも頭蓋骨でも、影はある。

では、定義が難しい「私」の影ってどれなんでしょうね。レントゲンにもCTにも映らない部分も「私」なわけで。

 

作品に戻ると、「放たれる君」って、考えてみると不思議な状況ですよね。

「GO」ってドックランに放してもらったわんちゃんと、話が合いそうです。

RE このようにこんな形で僕として 生まれたかったわけじゃないのに

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こんな短歌を発表したら周りから心配されそうですが。大丈夫、私は最初から夢も希望もありませんから(๑•̀ㅂ•́)و✧

短歌はアートだから、心配しないなあ。

言葉に出来ることって昇華だと思うし。

 

夢や希望は、夢・希望の温度とか強度がみんな違うから、まずは前提から話し合わないとですよね。

 

振れ幅というのでしょうか、これは僕の持論なのですけど、コインの裏表だから、愛情が深い方は、憎悪だって深く出てもおかしくないと思っています。だったら、高く跳ぶために跳躍という準備がいるように、夢や希望のコインの裏を見て苦さを理解することも「準備」に含まれるかもしれませんね。

RE 悟りとは遠いところで繰り返す禅問答のようなやりとり

いいなあ、これは好きだなあ。

 

禅問答みたいなやりとりができる関係性が羨ましい。私にとって恋愛は言葉がとても大切なものだから、そういう会話はカラフルで楽しい時期の出来事かなあと思うのです。

 

また、周囲から見て禅問答に見える、二人の片方は禅問答に見える、二人とも禅問答と意識していると3パターン考えてみました。どれでも、味わいがあると思う。

 

悟りは悟りで安心とか、揺るぎない大樹のような魅力があるのでしょうけれど、そこへ向かうまで、少しだけ遠回りしてもう少し「禅問答」を楽しめたらいいなあと、気持ちゆっくり歩いてみたくなる、そんな作品なのでした。 

 

 

 

RE Tweetへ。

 短歌を生み出す源だったり、この2行自体が詩だと感じました。

 

例えば恋歌なら「大丈夫」と安心させてくれるにしろ、はらはらで思いっきり振り回されるにしろ、それは「真ん中」へ届いていますよね。

「さよなら」の代替品かもしれないし、表現が違うだけで「さよなら」そのものかもしれない。

 

僕の人生観・価値観かもしれないのですけど、主語大きくするから、Iメッセージ的に前置きしますね。

人間は賢いようで、けっこう不自由な脳を抱えて生きています。複雑にできているから、肝心のボタンに自分では手が届かなくて「誰か」が必要とか。

 

「さよなら」を必要とした場所は、人によって、必要な弾丸(言葉)も困ってることも全部違います。「この何かを、止めて」が共通すると思う。「静かにしたい」かもしれない「愛されたい・必要とされたい」かもしれない、「少しだけ眠らせて」かもしれない。でも、言葉とイメージじゃないと、しかもそれは自分の言葉で必死に止血するけど、「誰か」の言葉だと特効薬みたいに、魔法みたいに機能することがあるって、言葉の力を知ってしまった・「他人」を知ってしまったことの豊かさと不幸を見つめたくなる、詩歌だと感じました。

RE あのひとは天使にふれたことがあるらしいので死を怖がりません

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「天使とは?」って話ですよね。

Aを怖がらない理由って、Aより恐ろしい何かを知っているからか、A自体をよく理解しているから、という2つの理由がメインではないでしょうか。

 

私はが犬怖くない理由は、犬と仲良しになったからだから後者。

私がスズメバチ怖くない理由は、もっと怖いもの知ってることと、どう対処すればいいか知ってるので両方をバランスよくかな。

ところが死って、不死の人はいないので、医療などは存在しても、「対処」しきれない問題のはずなんですよね。哲学とかいろんなもの総動員しないといけない。

 

作品に戻ると、天使と「遭った」こと、そのことがとても「恐ろしかった」とか「覚悟させられた」ので、死より天使が怖いって意味として受け取ると、どんな天使だ問題が起きます。ファムファタール味のある天使ですね。

 

そうじゃなくて、「あのね、死っていうのはさ」とそっと世界の秘密を耳打ちしてくれる、親切な天使だったから、死の理解ができて死の備えが出来た、ただそれだけのことかもしれないですね。

 

犬と仲良しになる感じに、死と仲良しにしてくれる天使。

天使の役割として、やはり職権乱用の疑いはあったりなかったり……。