RE ピンヒール脱いで裸足で歩いたら 誰か拾ってくれるのかしら
Twitterの短歌クラスタの方を拝見して、そこにとどめておけばいいのに、わざわざ作者さんに伝えるのはどういう心理なのでしょうか。
美やアートがあって、それを作り出してくれた方に声かけられるなら、お礼とか賞賛とか、何に魅力感じたか届けることは、してもいいのかなと思って、このblogやっています。
本業忙しいと更新途絶える、ほぼ更新しないblog化する時もありますけれど。
ピンヒール脱いで裸足で歩いたら
— 萌々 (@momo_tanka) August 12, 2019
誰か拾ってくれるのかしら#短歌 #tanka
言葉の使い方がとても興味深いです。
「拾う」対象どっちだ問題。冒頭の「ピンヒール脱いで」 がインパクト強い言葉だから、「誰か(私を)拾って」と繋げて読みたくなる構造かもしれない。
でも、例えば砂浜で、ピンヒール揃えて脱いであるとかだと、周囲の人はいくつかの意味で心配して声掛けするかもしれない。
一番、遭遇したくないパターンは、脱いだ靴のみ反応して拾って無言で帰る人かなあ。コレクターなのか転売するのかしらないけど……。
非日常を返せってなると思う。(気分台無しだって意味で)
真実の愛を貴方は見つけたの?
— 萌々 (@momo_tanka) August 12, 2019
それじゃ私の想いは偽物?#短歌 #tanka
感性がみずみずしいと思う。
どちらかの想いが偽物・錯覚とかで済むなら傷は浅いですよね。
どちらも本物・真実で、それが両立しないので、総合力の強い方(例えば惚れられた側)の真実や本物が生き残ってしまうこと、力負けしたけど、こっちも本物を確かに持っていたんだってことが、苦しいんだと思う。
「大事に思っているから、あなたじゃない」みたいな言葉とか力学が、レトリックとかその人の保身(逆恨みされない断り方)とか知恵だけじゃない、って気がついたのは幾つの頃だろうと、遠い目になりました。
RE 目を伏せる日がこなければいいいつか俺でいいかと問うたあなたに
目を伏せる日がこなければいいいつか俺でいいかと問うたあなたに #tanka #jtanka
— こはぎうたbot (@kohagi_bot) August 12, 2019
「他人から見られることが嫌だ」と話してくれた女性の友人がいます。
たしかに僕も、ジロジロ値踏みされたり、凝視されたら、「変な人かな?」 とは思う。でも、「鑑賞・被写体・消費」みたいなキーワードでの「見られる」は経験したことが少ないと思う。
他人の目を見て話すけど、目力強い方なので、ときどきそらして話すようにしています。まして、公共の場所で、同性はともかく異性とは、そもそも目をあわせないように、そらしてる。
そんな、少し窮屈なマイルールを、「伏せる」から連想しました。
伏せてはいないんですよね。そらしてるだけ。
さて、作品に戻ると。
バイタリティや自信があって、そこが魅力なんだけど、「謙虚さもスパイス程度に必要だよ」「言っても無駄で、あなた転んで痛い思いして理解する人だよね」みたいに「思わないで済むといいな」という予感みたいなものもあるかもしれないですね。
RE ミラ進化、防陣、秘術、アン、ミラ、アン 10ターン目にはダイマホー(´∇`)
いや、どんなに語っても語り尽くせないシャドウバースの魅力。たまにこうやってシャドバ短歌を小出しにやって行きたいと思います(๑•̀ㅂ•́)و✧
ゲームする時間がとれない。
ぼんさんとそんな話をしたところ、シャドウバースの何に惹かれたかと、ぼんさんのプレイスタイルを教えていただきました。
凄腕のセールスマンだと思う。
将棋とかちっとも強くならないですし、たいていの問題は筋肉で解決できると思ってますので、いつまで続くか分からないですが、シャドバ始めました……。
5,7,5,7,7で、ウィッチデッキの爆発力を表現していることは読み取れるので、「知らない」と「1mmだけ知ってる」はけっこう違うものですね。
RE 隙をみて彼女の未来予想図に 微妙に欠けた月を描き足すφ(・・。)
「彼女」との関係性が、どれくらい近いのかでイメージされる状況も変化しますね。
見知らぬ誰かで、まだ他人なんだけど、未来予想図に描き足しておいたからご縁ができましたね、みたいなハッピーエンドかもしれない。
あるいは、「無断で見た!」「リビングにノート開きっぱなし」みたいな感じで、微妙に欠けた月を「いい仕事」でばっちり埋めたことで痴話喧嘩勃発とか。
起きてみる方の夢の話を散々聞いて、「そこに僕は登場しないね」って寂しそうにつぶやいて反応見るとか、なんとなく思い出しました。
いや、僕は月と関係ないのですけれど、なんとなく、ええ。
RE それ以上近づくことはない波の 色濃い跡に私から行く
困ったときはテキトーに恋歌を投げとく、ってのが私のセオリーなんですけれども。今回もそんな感じで詠みましたのがこの一首です。
ふむ。
「私から行く」がミステリアスですよね。決意表明みたいに読むこともできると思う。
何より、波のイメージを持ってきたのが凄いと思う。
だって、波って海が出来てから海がなくなるまでずーーーーっと存在するものですよね。人生の一時期をカラフルにして温めてくれるもの、「季節」とかではなくて、そこにあってありつづけるもの、ほとんど永遠に等しいものですから。
恋をして「荒波」が一時的に発生とかじゃない、雄大な作品だなあと思うことでした。
RE うつくしい雲から善意が降ってきて濡れてしまった服が重たい
うつくしい雲から善意が降ってきて濡れてしまった服が重たい
— 岩倉曰 (@wakuwakuiwaku) August 11, 2019
『 善 』 岩倉曰 #うたの日 #tanka https://t.co/hVKPBviReF
善意がしたたり落ちるようなうつくしい雲は「禍々しい」ことに気づきにくいから呪いや支配の言葉が生まれるのでしょうね。
善意はもちろんいけないものではないけれど、使い方を間違えると窮屈になります。
だから、「それは、その善意の側から見れば、その雲はうつくしいことでしょう」 って視点を持つことにしています。謝罪と少し似ているかもしれない。
「それ、謝って楽になりたいだけと違う?」って気持ちのトーンと、似た重さな気がするのです。
どちらも自己愛・自己優先の重さかなあ。
RE どしたの、つらいの?ヾ(・ω・`)じゃあ、この箱に 入ったクコの実ひとつあげる(๑• ̀д•́ )✧+°ドヤッ
童話的な香りを感じました。
クコの実を集めて、クコの実で解決する主体が猫だったらどうかなとイメージしてみました。猫は、ジャイアニズムというか、わけてくれない気がするのですけど、まあでも、猫は猫の気遣いと優しさがありますし。
せっせと集めてる猫、計画性のある猫、それはもはや猫ではないかもしれない。