RE Tweetへ。
だれか、頭の真ん中へ。
— さみしくてしぬ病気 (@108g) August 13, 2019
真ん中へ真ん中へ、さよならを撃って。
短歌を生み出す源だったり、この2行自体が詩だと感じました。
例えば恋歌なら「大丈夫」と安心させてくれるにしろ、はらはらで思いっきり振り回されるにしろ、それは「真ん中」へ届いていますよね。
「さよなら」の代替品かもしれないし、表現が違うだけで「さよなら」そのものかもしれない。
僕の人生観・価値観かもしれないのですけど、主語大きくするから、Iメッセージ的に前置きしますね。
人間は賢いようで、けっこう不自由な脳を抱えて生きています。複雑にできているから、肝心のボタンに自分では手が届かなくて「誰か」が必要とか。
「さよなら」を必要とした場所は、人によって、必要な弾丸(言葉)も困ってることも全部違います。「この何かを、止めて」が共通すると思う。「静かにしたい」かもしれない「愛されたい・必要とされたい」かもしれない、「少しだけ眠らせて」かもしれない。でも、言葉とイメージじゃないと、しかもそれは自分の言葉で必死に止血するけど、「誰か」の言葉だと特効薬みたいに、魔法みたいに機能することがあるって、言葉の力を知ってしまった・「他人」を知ってしまったことの豊かさと不幸を見つめたくなる、詩歌だと感じました。