RE 届くなら近くも遠い黒髪の あなたにあげる開かない箱を
「開かない箱」を面白がるとか、意図を理解するとか、なんらかの形で受け止めてくれる方なのでしょうね。
まだ、「近くも遠い黒髪」な関係性だけど、「開かない箱」はキャッチしてくれると分かっている、もしくは読めているのがすごいなあと思わされました。
いや、そこも含めての「届くなら」かもしれませんね。
RE 背伸びして夏濃い色に花ひらく ひとつひとつの緋のやわらかな
背伸びから「成長」を連想してしまう自分が嫌いです、どうもこんにちは。
唐突ですが、自分はお酒弱いので、「シメのらーめん」の旨さを想像しにくいです。
健康的で良いことなのですけど、人生の楽しみの半分を知らないみたいな複雑な気持ちが。
とはいえ、二郎の話をしていたら、「美味しそう、シメに行きたい」って声が聞こえて、二郎未経験の方なので、周囲全員一致で「シメはやめとけ」って説得する流れになにりました。二郎でシメにできる方はすごすぎる。
夏の濃い色からネイビーを想像する方もいれば、アルコール類とか、冷たい飲み物についた細かな水滴ですとか、淡い想いの距離感とか、いろんな「色」を連想されると思うのです。そこに、花があって、自然があって、たしかに情景が歌われている。
でも、そこに切り取られて提示されたイメージ「だけ」とは言ってないのが、短歌やぼんさんワールドの魅力だなあと思わされることでした。
RE ユウウツな僕の気持ちを押しのける それは祭りの強引な熱(# ゚ Д゚ )
もともと暑い、熱帯夜。亜熱帯化してる僕らの街。
そこに、お祭りでテンションを上げる屋台とかイベント主催者側の方々と、お祭りでテンション上げて行く人々が集まります。コンビニとかも便乗して、仕入れをお祭りモードにしてあったりしますね。
楽しそうにしてる人達、それこそ「物心ついて、初めての夏祭りです」みたいなちびちゃんも混ざってますし。
彼らはお酒入っていたりして、少し強引に誰かを・何かを押しのけていくかもしれない。そんな強引な熱は、まわりまわって僕のユウウツも押しのけていく。
綺麗な作品だと感じました。
RE 追っているけむり漂う駅前の紅い浴衣の後ろ姿を(〃゚ Д゚ )
暗闇へ.海王星に触れたくて空振る手には一滴の水
追っているけむり漂う駅前の紅い浴衣の後ろ姿を(〃゚ Д゚ )
対というか、海王星と紅い浴衣の後ろ姿って、私には「同じカテゴリ」のように感じられます。見知らぬ誰かである前提なら、声かけませんし(かけられませんし)。
海王星は無限に感じられるくらい遠い。浴衣の誰かの場合は、知人かご縁がなければ接点が無い。物理的な距離は全く違いますけど、事実上どちらも「触れられない」点は同じです。(私には)。
海王星の歌の場合、手に一滴の水が残りますよね。汗かもしれないし、海王星からの「何か」「繋がり」かもしれません。浴衣の誰かに関しては「ただ見る」だけですから、むしろ海王星より遠いかもしれないですね。
なんか惹かれる、「引力」みたいのも含めていいかもしれないです。
それでは皆様、良い夏祭りで良い夏休みを。
RE マーライオンにわたしいくつに見える?って訊いて出てきた水を眺める
マーライオンにわたしいくつに見える?って訊いて出てきた水を眺める
— 岩倉曰 (@wakuwakuiwaku) August 1, 2019
『 ライオン 』 岩倉曰 #うたの日 #tanka https://t.co/aW1jkIsYAY
マーライオンも気の毒に……。
「いくつに見える?」って、実年齢より少し若く答えようと頑張るのですけど、人によって「童顔を気にしてる」とか「しっかりしてるからすごく上と誤解されてきた」とか、色々あるので、女子からこの質問されると固まります。
その点、マーライオンはかしこいですね。
あいつ、日本語理解してると思うんですけど、水出して、「自分はこういうものですから、ええ」って、答えないわけです。答えないのが正解かもしれません。
『人生で大切なことはだいたいマーライオンが教えてくれた』とか、本を出しませんか……。
「いくつに見える?」はだいたい外す(その人が欲しい答えとズレる)ので、そのギャップを想定して、意外な一面をポジティブに表現する方向に保険かけます。
質問された側はすごく気を使うけど、質問する側はとくに何も考えてないことも多いので、今すぐマーライオンになりたい気持ちです。
ぜんぶ、夏が暑いのがいけない。
RE 身につけぬ腕時計みたくただ無駄に刻んでいつか止まるこの音
身につけぬ腕時計みたくただ無駄に刻んでいつか止まるこの音
— 清水ここに (@shimizu_kokoni) August 2, 2019
腕時計は時を刻まなくなっても保管しやすいですけど、私達の入れ物はそうはいかないですよね。
漠然とした気持ちとか、哲学的な問いから、いろんなことが重なりすぎて生じた苛立ちまで、幅広く対応できる「無駄に刻んでいつか止まるこの音」ですよね。凄いな。
無駄に思えても時は刻み続けること、腕時計が自分で電池なりゼンマイをいじれないことと似ています。
「この音」から少し飛躍するのですけど、「孤独」ってきちんと同居できている人は、独特の静けさがあって、持ち寄れる感覚ってないですか?
今回の作品の「この音」に関しても、悲しみ・無力感・虚無など、自分の中にその音が「ある」ことを知ってる人は、例に出した「孤独」と同じで、人生の味を一つ多く知っている人なのかもしれないです。
RE 近づける星にはウトい私は 織姫さまが指先にいて
いつも通りと言えばいつも通りな感じで更新が遅れておりますが(; ・`д・´)
ぼんさんは立派だと思います。
僕は、本業が修羅場続きで、blog更新できなかったですから……。
まー、私がこんなこと言っても誰もときめかないんですけどね(-血- )
謙遜なの知ってます。
さて。今回の作品ですけど、「近づける星にはウトい」が素敵です。
自慢とか余裕とかではなくて、近すぎて見落とす感じというのでしょうか、時間が経って後悔するやつ(遠い目)。
ゼクシィの広告見たり、あるいは『トリセツ』を聴くと
文化違うよなあと思うんです。
仕事できて頭よくて社会的な戦闘力十分高くても、その事実を褒めたつもりでも、傷つけちゃうとかあると思う。すごく難しい。
何が言いたいかというと「気分」って大事で、夏祭りシーズンは、浴衣で「織姫様」になることが出来る、あるいはそんなシーズンを思い出す人もいるかもしれない。
価値観は様々だけど、気分良く過ごしたいのは共通するよねと思わされることでした。
というわけで、色々ウトい私ですけど、織姫様は大事にしたいことです。
この場合、彦星はどこいったのでしょう。