短歌読みます、うたあつめ。

拝見した短歌への、返歌や感想を書く、公開ファンレターです。

RE ピンヒール脱いで裸足で歩いたら 誰か拾ってくれるのかしら

Twitterの短歌クラスタの方を拝見して、そこにとどめておけばいいのに、わざわざ作者さんに伝えるのはどういう心理なのでしょうか。

美やアートがあって、それを作り出してくれた方に声かけられるなら、お礼とか賞賛とか、何に魅力感じたか届けることは、してもいいのかなと思って、このblogやっています。

本業忙しいと更新途絶える、ほぼ更新しないblog化する時もありますけれど。

 

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言葉の使い方がとても興味深いです。

「拾う」対象どっちだ問題。冒頭の「ピンヒール脱いで」 がインパクト強い言葉だから、「誰か(私を)拾って」と繋げて読みたくなる構造かもしれない。

でも、例えば砂浜で、ピンヒール揃えて脱いであるとかだと、周囲の人はいくつかの意味で心配して声掛けするかもしれない。

一番、遭遇したくないパターンは、脱いだ靴のみ反応して拾って無言で帰る人かなあ。コレクターなのか転売するのかしらないけど……。

非日常を返せってなると思う。(気分台無しだって意味で)

 

感性がみずみずしいと思う。

どちらかの想いが偽物・錯覚とかで済むなら傷は浅いですよね。

どちらも本物・真実で、それが両立しないので、総合力の強い方(例えば惚れられた側)の真実や本物が生き残ってしまうこと、力負けしたけど、こっちも本物を確かに持っていたんだってことが、苦しいんだと思う。

「大事に思っているから、あなたじゃない」みたいな言葉とか力学が、レトリックとかその人の保身(逆恨みされない断り方)とか知恵だけじゃない、って気がついたのは幾つの頃だろうと、遠い目になりました。