RE ∑(゚Д゚)ハッ!とするT字路の自転車の外国人が会釈していく
生きてます><
ぼんさんの作品を9日ぶりに読めたあああああ。
約束の時間があるので、一つ更新が間に合うか、半泣きで書いてます。
友人の短歌への公開ファンレターではなくて、「万葉集、斎藤茂吉、俵万智」以外にもいくらでも魅力的な短歌やってる方々がいるよ!! Twitterで拝見して公開ファンレター書きたいよ! というblogなんですけど、TLを読む時間が作れません。
「ダイエット始めたの」って女子に、「ほう。ここに偶然、とっても美味しいものがですね」と過去にいじったことがあるかも。逆やられました。仕事のパフォーマンス上げたいので、おじさんですし、鍛えたんです。で、最後の仕上げで、カロリー制限かけて運動量キープして、あと数キロ絞ろうと思ったら「明日はないかもしれないなあ♡」ってやられました。
食べたし、食べた分、消費したった><
で、ぼんさんの作品です。
これは彼のエッセイというか文章部分もあわせて楽しんで頂きたいです。
郷に入れば郷に従えが出来ている方、いますよね。
会釈できてたかなとか、そもそも笑顔とか感じの良い空気を出せていたかなとか、俺不機嫌な顔してると怖いと思われるかなとか、いろいろ考えてしまいます。
会釈するということは、目が合ったとか、「あ、通してもらってすみません」みたいなことがあるのかもしれないですね。ぼんさん紳士だし。
なんでもない日常の一コマだけど、私はこういう瞬間が好きです。
少し胸が温かくなるから。
RE 微温湯を飲むみたいな季節だった(そんで滅茶苦茶、好きな子がいた)
微温湯を飲むみたいな季節だった(そんで滅茶苦茶、好きな子がいた) #tanka
— 卵塔 (@01box_ri_aor) 2018年11月13日
「微温湯を飲むみたいな季節 」は、温度計で確認できる方なのか、心の体感温度なのかどちらでしょう。両方かもしれない。かつ、「むちゃくちゃ、好きな子」は、その好意を知っているのでしょうか。
パートナーかもしれない。
仲の良い友達か、まったく知らない人だけど、「好意漏れてるよ」って把握されちゃってるかもしれない。すごく恥ずかしいけど、そういう関係性は、『ハチクロ』じゃないですけど、楽だったりしますよね。
多感な時期っていいますけど、僕らは人生の一時期、そういう季節を通り抜けて、それぞれの「大人」になっていく。大人になってみて、ふと「微温湯を飲むみたいな季節」があったなと思い返せることは、豊かなことだと思うのです。
RE 毒を持つ花さえ愛しがる君だから僕は、僕、壊れ、壊れて、しま、う
毒を持つ花さえ愛しがる君だから僕は、僕、壊れ、壊れて、しま、う
— 清水ここに (@shimizu_kokoni) 2018年11月12日
「こっち」って、連れてかれることありません?
歌いたくないけどカラオケとか、図書館の気分じゃないけどパートナーが読みたい本を探す手伝いさせられるとか(リファレンスサービス使おう)。あるいは「とくに買うわけじゃないけど、ここの小物見るの好きなの」って、ウィンドウショッピングに連れて行かれて、「美術館とか博物館のテーマが『かわいい』で、学芸員さんが『かわいい』を解説してくれる感じ?」って思うとか。どうしても趣味じゃない映画に連れていかれて寝ていじられるとか。
誰かを好きになることは、その人の目を通して世界を見ることだと言った作家がいます。そういう恋愛が好きでした。だから、主体が「今、壊れる」と、すでに限界を超えるくらい「君」を受け入れ続け、おそらく振り回されたことを推察できます。
やるじゃん。
拍手しかありません。幸福観が人それぞれなように、恋愛観も人それぞれです。自分を壊すほどの何かを持ったパートナーに対する評価は人によって変わります。でも、「毒を持つ花さえ愛しがる」人なら、「君」は毒に対する理解と耐性があるでしょう、「君」自体も「毒」(目に毒みたいな意味も含めて)があるかもしれないですね。
ハイリスクに魅力です。
高い山に挑んで怪我をしたよとか、そういうことと同種のリスペクトを抱きます。
私は、壊れる前に手を引いてしまうから。
RE 代り映えしない天気と町並みを ゆっくりとした足取りでいく
この作品は、「代わり映えしない天気と町並み」を、主体は受容を終えているように感じます。
だって、嫌悪してて「この街を出るんだ」「早く大人になるんだ」と思っているなら、焦燥感すごいですよね、ゆっくりとした足取りで、町並みや天気を味わうように歩くなんて出来るはずない。
主体は主体の「幸福感」とか、「これがあれば私は大丈夫」という何かを見つけているのでしょう。もしかしたら審美眼も際立っているかもしれない。僕の友人みたいに。
例えば、アイキャッチにお借りした上記写真を「情報」として「傾斜地に小屋があるね」「晴れてる」「草の感じからすると季節は」みたいに感じる方もいれば、構図とか質感とか色味とか様々な要素から「美」を感じる方もいるでしょう。
青い鳥を探しに出かけて、「ここにいたんだ」と旅を終えた方の眼差しかなと感じました。
RE ご無沙汰の僕のオーブントースターを 可愛がるためヾ(・ω・`)焼き菓子の本
僕の部屋じゃなくて、今度はぼんさんちに伺うんだ(決意)
基礎代謝が高いです。計算してみると、私の運動量だと、一日3500kcalくらいは食べないと痩せます。ていうか、5000kcalくらいなら、2時間くらい有酸素運動足せばどうにかなると思う(2時間で1500kcalも消費できないはずなのになぜだ)。
高校生の頃の男子が1600kcal、女子だと1300kcalくらいだから、基礎代謝自体が高校生時代より高いわけですね。燃費悪い! エンゲル係数高い!
女子に「なんだその体は」ってイラッとされそうですけど、待って、交換できるなら交換して欲しい。だって、結局脳と脳の出力の勝負であるなら、燃費のコスパが優れてるのは女子でしょ、私と比較して。最低でも女子2人分食べてるわけだから。
食べないと痩せちゃうわけで。
地球に優しくない!!
というわけで、焼き菓子食べてもそんなに太らないと思うので、ぼんさん焼いたら私も食べたいです! 友人のお宅がだんだんカフェになっていくよ。
enechange.jpとりあえず調べたよね……。
RE その目には光沢は無くすべり込む 青い光は逃げ場を失くす
目は不思議ですよね。花粉症とか風邪からの自衛とかでマスク身につけていると、目が強調されます。美容整形で「目」をいじりたい女性の気持ちは想像できます。だって、男子は洗顔とひげ剃り程度で済むけど、不慣れな者からすると複雑すぎる工程で、ご自身の納得する「私」を描きあげるわけですよね、毎日。
「え、化粧落としちゃったけど」って、イラッとされたりしません?
で、瞳の話。
女性のファッションもそうかもしれないけど、具体的な言葉にすると角が立つから、「目で語る」とか「ファッションやメイクで語る」ことってあるよなって。私にとって「吸い込まれる瞳」は、「雄弁」か「知的」な瞳です。正直、見ないようにしています。目力で負けるのでw
単に、モテの文法でおしゃれな瞳なら、「今日も前線に立たれるのですね。ご武運を」くらいな感じで、ニコニコ見てしまいます。
RE 指先の鱗粉に我が息を吐き 解いた繭の上に降り立つ
「やー、今日のフィギュア凄かった」
「感動した」
「ネ申」
とか、ため息を漏らして終えるのではなくて、言葉にされたわけですね。
「繭の上に降り立つ」ことは、スケートリンクの比喩として受け止めることもできます。面白いのは、ぼんさんはフィギュアを観客として鑑賞して感動した。
そこから生まれたイメージは「主体」の指先に鱗粉があり、「解けた」のではなく「解いた」のですから、おそらく「私の繭」だから、主体が蝶のような何かに羽化したわけですよね。
羽化したばかりの命に満ち満ちた何かでなければ表現しにくかったのでしょう。
観客だったはずの作者から生まれた作品の主体は、フィギュアスケートのような場所に降り立っているし、しかも「自分の繭」なのだから、フィギュアスケート自体自前だったりします。言葉の力、イメージの自由さ、短歌ってこんなこともできるのですね。