短歌読みます、うたあつめ。

拝見した短歌への、返歌や感想を書く、公開ファンレターです。

RE あの人の唇に引く紅色が僕だけのはずの春を彩る

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ピュアな少年の視点を思いました。

憧れかもしれない。

独占欲かもしれない。

あるいは「僕だけのはずの春」が、「春をどう感じるかは僕のものなのに、調子狂っちゃうな」ってことかもしれない。

 

逆に、「あの人」の視点を思えば、関係性ができてるなら「あ、気がついたかな」とか、「この色好きなのかな」と彼を観察するかもしれないですよね。あるいは、主体の心の動きを知らない距離であるなら「?」とか「今、視線感じた」くらいから、もうちょい意地悪な「む、今日の色は、私に似合ってるかも」って「あの人」もいるかもしれない。

 

「あの人」と「主体」がいて、紅色があって、主体の心が揺れている(影響を受けている・作用している)。

 

シンプルな要素を、手渡してもらって、そこから自分の中で鑑賞・復元していくと、様々なシーンをイメージできますから、豊かな作品だと感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

RE 口移しされた吐息を吸い込んで 明日もやっと生きていける

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ドキッとする大人な作品です。

 

や、おっさんなんで、「タバコ吸う人とはちゅーしませんからね」って女子の友達にダメ出しされて、「あのさあ、健康心配してくれるのはわかるけど、俺ら友達だよね?」と喧嘩したことがあります。副流煙で大切な人を傷つけたくはないけど、ブレスケアとか歯磨きで許してくれる女子を探します……。あ、探してないです!(どっちだよ)

 

「口移し」だけでもかなりセクシーなのですけど、「吐息」も加わって、セクシーの掛け算です。おじさんこまっちゃいます。少年か。

 

でも、そうじゃないんですよね。「明日もやっと生きていける」ことから逆算すると、主体は相当きつい何かがあるのでしょう。あるいは感受性が高くて、当たり前の僕らの日常が「痛い」のかもしれない。

 

そしたら、その痛み止めをしてくれる何かは何か。主体にとっての元気のもととか、「これがあれば私は大丈夫」って何かかもしれないし、希望かもしれない。

全員状況も能力も大切なものも違うけど、「これがあるから明日も」って何かは一つはありますよね。

 

あなたにとって、「明日もやっと生きていける」何かはなんですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

RE 言い訳を考えているときだけが勤勉になる 歌ができない

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単純作業の繰り返しから解放される。プログラミング言語を学ぶことをそう説明する方がいます。プログラマーさん達の中には、「いかに手を抜くか・サボるか・怠惰であるか」を実現するために勤勉に仕組みを作る(プログラミングする)方もいますね。

そんな視点を補助線にすると、藍あざみさんは詠めないと仰られていますが、ベクトルとしては近いのではないかなあと感じました。

 

「トライしたけどできなかったよ><」という困惑を表現されたことで、違う角度から見ると、「そこも含めてできているのでは」みたいな、受け止めのできる奥ゆかしさを感じました。

 

すっと心に浮かんだことを、そのまま表現することは勇気がいるので、心の立ち方が素敵だと思います。

 

 

 

 

RE Aメロの第一声で魅了する 彼女の唄をだれも褒めない

tanka.sblo.jp

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近況。生きてます。年を考えず、毎日8km以上、きつめのウォーキングやったら、足がいかれました。冬の足音とともに老いを感じる今日このごろです(「老い」まではいかない……)

 

下にリンクする音声版で感想を述べました。

ざっくり言うと、「褒めるのは(とくに異性だと)」難しいよねという共感と、でも、なんとかみんなも褒めてくれないと褒められない空気かわんないよねってことを感じました。他人の長所見つけて褒めるの大好きなので、「え、なに、私のこと好きなの?」って誤解招くから困るんです。誤解招くから自重していますけど。

 

更新追いつかないので今回も音声版でぼんさんの作品について言及させて頂きました。よろしければおつきあいください。

 

RE ATMの鏡に映るこの人に大丈夫だと言ってあげたい

 これ、岩倉さんに「いや、臣さんに言われても、えっと、(ワタシ ハ アナタ ニモ ダイジョウブッテ (ry)」ってなりそうな気がしますが……。

私はダイジョウブです(涙目)

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「ATMの鏡に映るこの人」は主体のはずです。

「大丈夫だと言ってあげたい」のも主体のはずです。

そして「大丈夫なのに大丈夫だと思えなくて、声掛けが必要であろう状態」の主体ですよね。

 

一言で言うと、この作品の凄さは「客観視」だと思います。

自分をどこまでも突き放して、まるで他人のように見ることができる。

しかも「鏡」を使われている。客観視ましましです。

 

岩倉さんは繊細かつ気骨というか魂の強さ、気高さのある方です。

そこを僕はロックとかパンクと感じます。

 

であるなら、「大丈夫と言ってあげたい」(けど、言わないよ。がんばんな)って言葉が予測されます。あるいは「あなたが震えながら立っていることを私は知ってる。でも、言わない。心配だけど見守ってるから、やってごらん」って、温かなハートを徹底的に内に秘めたクールな心の立ち方にも見えます。

 

「客観視の凄さ」

「魂の強さ・気高さ」

 

そなキーワードを感じました。じっさいはどうなのでしょう、岩倉さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

RE 目の前を小さな虫は浮遊する 図書館までの道をほやほや

tanka.sblo.jp

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先日、ぼんさんに、彼のお気に入りのウォーキングコースを教えて頂きました。

僕は独り大好き人間なので、曲聴きながらひたすら歩きます。平均8kmは毎日歩いています。だから、友達と歩くのは新鮮だし、彼が気に入っているコースを紹介して頂けるのも楽しいひとときでした。

 

俯瞰すれば、主体の目の前を浮遊する小さな虫と、図書館へ行く僕の何が違うのでしょうか。もちろん、いろいろ違います。

でも、同じ生命です。

浮遊する小さな虫にも、何か理由や用事があるのでしょう。

それは僕らが仕事や学校、あるいはお買い物、そして図書館へ行くことと何が違うのでしょうか。

もちろん違います。

違うけど、ぼんさんの世界は「フラット」なんです。

 

「図書館までの道をほやほや」してる主体は、ほやほやしているから目の前の小さな虫の浮遊を優しいまなざしで眺める余裕があるのでしょう。でも、虫は虫、私は私は私ではなく、彼の作品を通すと、もしかしたら虫だって「ほやほや」して浮遊してるかもしれないと思わせてもらえます。

 

僕はそんな、ぼんさんワールドが好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

RE ヘッドフォン無しで乗り込む電車にて 恋バナ 井戸端 自慢 吐き気

 祐さんの作品に登場する「吐き気」は、生理的な吐き気「だけ」ではないですよね、「私の頭の中に許可なく入ってきた、気持ち悪い諸々を、できるなら吐き出したい」という精神的なことではないかなあ。

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なぜって、作歌できるほど鋭敏な感受性をされた方にとって、ヘッドフォンは音楽を聴くのではなく、「痛すぎる日常」を遮断してくれる、優しいベールだからです。

 

結論としては「それな」です。僕もヘッドフォン忘れると、車内で窒息しそうになります。