RE 毒を持つ花さえ愛しがる君だから僕は、僕、壊れ、壊れて、しま、う
毒を持つ花さえ愛しがる君だから僕は、僕、壊れ、壊れて、しま、う
— 清水ここに (@shimizu_kokoni) 2018年11月12日
「こっち」って、連れてかれることありません?
歌いたくないけどカラオケとか、図書館の気分じゃないけどパートナーが読みたい本を探す手伝いさせられるとか(リファレンスサービス使おう)。あるいは「とくに買うわけじゃないけど、ここの小物見るの好きなの」って、ウィンドウショッピングに連れて行かれて、「美術館とか博物館のテーマが『かわいい』で、学芸員さんが『かわいい』を解説してくれる感じ?」って思うとか。どうしても趣味じゃない映画に連れていかれて寝ていじられるとか。
誰かを好きになることは、その人の目を通して世界を見ることだと言った作家がいます。そういう恋愛が好きでした。だから、主体が「今、壊れる」と、すでに限界を超えるくらい「君」を受け入れ続け、おそらく振り回されたことを推察できます。
やるじゃん。
拍手しかありません。幸福観が人それぞれなように、恋愛観も人それぞれです。自分を壊すほどの何かを持ったパートナーに対する評価は人によって変わります。でも、「毒を持つ花さえ愛しがる」人なら、「君」は毒に対する理解と耐性があるでしょう、「君」自体も「毒」(目に毒みたいな意味も含めて)があるかもしれないですね。
ハイリスクに魅力です。
高い山に挑んで怪我をしたよとか、そういうことと同種のリスペクトを抱きます。
私は、壊れる前に手を引いてしまうから。