短歌読みます、うたあつめ。

拝見した短歌への、返歌や感想を書く、公開ファンレターです。

RE 優しさや愛や慈しみがほしい レプリカだって構わないから

「嘘でいいから」ではないですけど、レプリカ(複製品)でもいいから、というのは孤独の中の願いかもしれないし、「君」なら、レプリカだっていいよってことかもしれないですよね。

 

上の句でストレートに願いを書かれて、それを下の句の「レプリカだって構わないから」という形で受けている。贅沢言わない、心からのそれらを求めない、でもせめてという願いですよね。

 

これ、特定の君がいなくて、孤独の中で歌われたのかもしれない。

「君」はいるけど、大事にしてくれてるけれど、愛情表現が不器用なのかもしれない。不器用なわけではなくて、二人のそれぞれの文化や生き方が違いすぎるのかもしれない。

 

そして……。

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僕は猫バカなので、猫に対しての歌としてもイメージしてみました。猫にしてみれば、「レプリカってなあに?」って感じでしょうけど、「懇願されても、ボクのしたいようにします」って、だが断るされそうです。猫には猫の優しさや愛や慈しみの出し方があるから。

 

こんな風に、様々なイメージを喚起してくれる点に、とても惹かれるのです。

 

返歌

優しさや愛や慈しみが欲しい ブリキの胸にあればいいのに

 

レプリカで構わないですあなたなら 本物までのつなぎでいいよ

 

行動で示してるでしょ鈍い人 本物だって、お気づきなさい

RE 今おれが切ない理由の正体を知らないままで隣にいてよ

祈りでもあるし、優しさにもとれます。

ハッシュタグで知って、すぐフォローしました。

 

他の方の評にあるように、主体の隣にいる人に気持を伝えられないから切ない。今の、たぶん恋人ではないけど、友達としてとても心地よい関係が持てているからそれを壊したくないんだ。いつも通りを望んだのは自分だから、この葛藤は見せないようにする、知らないままでいて。そういう読み方できますよね。

 

あるいは、主体が隣にいてほしい誰かに傷つけられた可能性もありますよね。何気ない言葉で、そんなつもりはなかったけれど、主体にとってはすごく切なくなる言葉ということもあるでしょう。それを、知らないままでと言えるの、優しくないですか。

 

また、恋人やパートナーだとして、抱え込んで自分の中で決着つけて、話さない方っていませんか。「言ってくれればいいのに」という不満は時々耳にします。言わないには言わない理由がありますよね。学業やお仕事で何か切ないことがあったのかもしれない。でも、それを持ち帰って、巻き込みたくない。何があったか話さないけど、隣にはいて欲しい。そんな受け止めをすると、不器用で優しい方だなあと僕は思います。

 

「理由の正体」だけでなく、そもそも切ないことさえ知らないまま、いつもの通り、隣にいて欲しい。そんな風に感じられます。どんな状況なのか関係性なのか分からないですけれど、主体は隣りにいて欲しい誰かを、すごく大事にしていますね。

そんな点が、とても心に刺さりました。

 

返歌

今日もまたなんか抱えているのでしょ そんなにわたし、頼りないかな

 

オッケーのサインを出して半年目 じれったいなあ 私が言うよ?

 

今君が切ないことは分かるから いつもの私で隣にいるよ

RE 泡になることは承知でもう一度きみに出会って恋に落ちたい

ハッシュタグ見てて、わあって思って、慌ててフォローしました。

めちゃめちゃロマンチックだと思いませんか?

 

死ぬほど好きとか、

死んでもいいとか、

生まれ変わってもまた出会いたいとか、

色んな表現があります。

 

泡になるってことは、おそらく人魚姫ですよね。人魚姫は歩くと激痛走る設定だったと記憶しています。そうしたことを引き受けてでも、恋に落ちたいんだって、すごく強い想いですよね。

 

何らかの別れがあったのか、それとも今も良い関係は続いてるけど、恋愛から家族やパートナーみたいな関係にシフトしているとか、何か事情があるのでしょう。

主体は「きみ」との関係で起きる様々なことも、もしかしたら「承知」の覚悟かもしれませんね。

 

ただ好きなだけでなくて、人生賭けるに値する関係だったんだよって、恋を通して歩いてきた人生自体も肯定してくれるような、力強い歌だと思いました。

とても、好きです。

 

返歌

言ったでしょ泡になったら困るから ここにいるから 里帰りしてね

 

猛毒と毒針を持つ君だけど それがなんだよ 命はあげる

 

泡になることは承知で君を待つことは許して頂けますね?

RE 庭先の蜜をたずねる蜂はふと 木に同化する私に「君も?」

tanka.sblo.jp

蜂に刺されたことありますか? 僕は無いです。

幼い頃、近所の子が遊びに来ていて、その子の靴の中に、たしか蜜蜂ではなく熊ん蜂だったと思うのですが(刺しても蜂は生きてたはずなので)、潜んでいて刺されて大騒ぎになったことは覚えています。幸い、大事に至りませんでした。

それにしても、なぜ、幼児の靴に隠れるのですか……。

こんにちは。今日はミツバチの短歌です。虫の短歌を詠むことは何度かありましたが、蜂の短歌は初めてです。先日、庭のそばにある椅子に座っていたら、大きな蜂が花の蜜を吸いに来ました。臆病な私はそ~っとゆっくり退散しましたが、蜂の方はどちらかと言うと私の存在に全く警戒しておらず、はっきり立場の優劣を見せつけられた気がしました(笑)

だから、ぼんさんが退散してくれて本当に良かったです。そして「立場の優劣」って表現されるのが面白いなあ。

 

「この蜜なかなかいけるよ、どう?」って、蜂が声をかけてくれる感じが楽しいです。前も書きましたが、ぼんさんの世界って、昆虫を気持ち悪いとか怖いものと扱わず、今回も、対等な関係というか、フラットなんですよね。主体と蜂の間に上下関係が無い。

そんなぼんさんの感性が、伝わってきて、とても楽しく拝見しました。

 

返歌

庭先の蜜を運ぶの楽しいわ 怯えてないで踊りましょうよ

 

「こんにちはお庭の蜜をくださいな、花粉のお団子、お口にあって?」

 

庭先の蜜をたずねて迷ったの 木の陰の方 教えて下さる?

RE あの人もあの人もあの人も物語を待っているだけのひと

ドキッとしませんか? 私はドキッとして、この作品の前で立ち止まりました。

「なんか面白いことない」

「ない」

「ないよねー」

そんな声が聞こえてきそうです。僕らはそれぞれが、人類史でただ1つの「物語」を生きて歩いているはずです。

 

小説でもドラマでも映画でも、短歌でも、他のアートでも、様々な作品の中に「物語」を感じ受け取ることが出来ます。味わって自分の栄養にして、自分も何かを生み出しますよね。創作だけにとどまらず、明日も仮に気が進まなくても学業や仕事に取り組むことも、その人の「物語」を作ることだと思います。

 

でも、そうではなくて、何かが訪れると誤解して、ただ待っているだけの状態って、怖くありませんか。例えば渋谷のスクランブルみたいに人がたくさんいる場所をイメージして、この歌を思うと、周囲が一気に色彩を失って灰色になるように感じられるのです。物語を待っているだけの人は、もしかしたら、忙しすぎるとか、疲れすぎた人なのかもしれないですね。

 

返歌

あの人にあの人と、あと、あの人も 待ってるうちに髪白くなる

 

ひな鳥が口を開いて親を待つ ひな鳥だから許されるよね

 

大切な君から聴いた物語 心の奥に組み込まれてる

RE とうめいなビニール傘がさしてある かたてをのばす紫陽花のはな

tanka.sblo.jp

紫陽花、綺麗ですね。今の季節だと、一番身近な花は紫陽花かもしれないです。僕のスマホの写真も紫陽花に埋め尽くされています。

 

ぼんさんの着想をblogで拝読しているので、ビニール傘が立てかけてあって、そこに片手を伸ばすのかなと受け止めました。

 

それとは別に、紫陽花自体が、透明な傘をさしているような雰囲気ってありませんか。例えば細かな雨に打たれていて、紫陽花の周りにふわっと水しぶきで膜がかかっているように見えるとか。

だから、紫陽花自体が傘をさしているとイメージすると、片手を伸ばすということは自分から傘を少し離すことだったり、あるいは雨の中、紫陽花を見に来てくれた人に、傘をさしかけたい気持ちだよという受け取りもできるかなと感じました。

 

ぼんさんの歌は、日常からはじまって、境目なしに、気がつけば非日常へ連れて行かれる点が、好きです。

 

返歌

とうめいなビニール傘を乾かした分の水滴 紫陽花が飲む

 

とうめいな紫陽花のはな 雨の夜に 月に照らされ幾何学に咲く 

 

とうめいなビニール傘になれたなら 強い風から守りたいです

RE しあわせをビー玉にして手にのせて一人の部屋の水面に死ぬ

tanka.sblo.jp

I seal in these marbles
My greatest happiness.
I free them in my room,
Die at its surface.

「一人の部屋の水面」をどうイメージするか。こういう時に、同じ題材で英語ポエムを作り続けて下さってるから、ありがたいです。

例えば「一人の部屋」なら、孤独なのかな、何らかの寂しさがあるのかなとイメージしそうになります。でも、上の句との関係で考えると、そうでもなさそうですよね。

居心地の良い安心できる場所としてのお部屋なのかなと受け止めました。

 

満ち足りていて、大切なことを丸ごと手のひらサイズにすることができた。

そして、これは私の感じ方の問題なのですけど、スマホのOSじゃない方の、昔からあるアンドロイドのイメージで、すっと電源が落ちてもう動けなくなってしまう。

ぼんさんは、この作品では心の動きを直接的には歌っていなくて、ただ事柄や情景を淡々と歌われていますよね。もしかしたら、そんな作者さんの感情の抑制の高さから、僕は「電源」を連想したのかもしれないですね。

 

ただ、いつかくるもの。そこにあるもの。そんな風に描かれた点に、魅力を感じました。

 

返歌
しあわせをビー玉にして散らばして小さな空がまたたいている

満ち足りたこんな素敵な一日を凍りつかせて永遠にせよ

 

彼が寝る静かな部屋の水面(みなも)には光の消えたビー玉が浮く