RE短歌短歌165→172
音声ファイルでの更新第二弾です。
「聞きにくい」
「時間が長い」「いや短い」
などなど、ご要望ご感想あるかと思いますが、あの、現状これが精一杯なので、生暖かい目で許してやって下さい。原稿用意せず、「鑑賞モード」で撮ってます。なので、聴き直すと言い直したい部分があるのですが、ほんとすみません。
RE短歌短歌160→164
コメント
プライベートがバタバタしていて更新が追いつかなくなりました。更に、今後もっとバタバタする可能性があります。というわけで、試験的ですが、「音声ファイル」を使った公開ファンレターを用意してみました。
うん、僕が後悔する羽目になるかもしれませんね。
オヤジギャグかよ。違うよ!
RE 虫の音は止まない夏の道脇に 冷たい霧を漂わせる人
この作品は、ぼんさんのblogの記事もぜひぜひ読んで下さい。
理由はネタバレになるから言えない。
ぼんさんはリアルの友人です。彼の知性と感性と謙虚さを尊敬しています。
普通にアーティストだと思ってる。どんなにカッコイイ男か書き出すと、暑苦しいしうざいし、何より謙虚で知的なぼんさんに「あのな」って叱られてもいけないので、やめときます。
一つだけ書かせてもらうと、僕は彼の作品が好きで、彼にメール書いてました。
で、こつこつメール書くなら「公開ファンレターblogでもよくないか」ってことで、このblogの土台ができて、その後で、Twitterの短歌クラスタの方達にもファンレター出してみようかなって、今のスタイルにする時も、ぼんさんが相談に乗ってくれました。
私は彼を尊敬してるから、自分の集中力が落ちてきたら、作品の鑑賞をとめることにしています。
だから、今日は20数件たまってるけど(全レスしてます)、この作品だけ。
ぼんさんは一歩引いて、描写で思いを描くスタイルです。たぶん俳句に近いと思う。
この作品は、僕は女性をイメージするけど、どこにも「女性」とは書いてないんですよね。静けさとか落ち着きとか余裕のある毅然とした人、凛とした人、それは同性でもいいし、片思いしてる誰かでもいいですよね。
この作品の強さは、美しい瞬間の骨格とか骨組みを引っこ抜いて、それをポンと手渡してくれることのように思います。
つまり、鑑賞の余地があってイカスってことですよね。
RE 好きだったことは覚えてる体温も匂いも忘れてしまったけれど
好きだったことは覚えてる体温も匂いも忘れてしまったけれど
— 清水ここに (@shimizu_kokoni) 2018年9月6日
清水ここにさんの恋歌が好きすぎて辛い。
もしご負担でなければ、ガチでKindle出版ご検討下さい。1冊2000円までなら出します。連作一枚でも、出します。
もう、無料で拝見しちゃいけないんじゃないかと心苦しくなるくらい、尊敬してます。
今回の作品は、「記憶とは何か」とか「最後に残るものは何か」とか、私達がいつか老いて記憶がおぼろになった時、それでも手の中に、あるいは胸の中に持っていられるものは何かとか、多くのことを考えるヒントをくれます。
たしか「音」は最後まで聴こえるときいたことがあります。
でも、音の記憶はなかなか自由になりませんよね。
僕らは視覚に偏った生き物だから。
人によっては、体温を忘れてもかすかに「触覚」つまり、手触りを覚えてるかもしれませんね。嗅覚は逆で、それは音楽とも似ているのですが、記憶を呼び起こすトリガーになることがありませんか。
あ、この香り、あの人が好きだったとか、あ、この空気の湿った感じはあの人とこんなことがあったなとか。
結局僕らは毎日それぞれ自分のすべきことをして、こつこつ歩いて、疲れても泣いても立ち止まってもとにかく歩いて、歩いて歩いて、最後に残るのは「記憶」ですよね。そこに、大切な人がいてくれたらいいけど、たぶん本質的にはそれって大事ではないですよね。その時大切な人がいてくれるかより、大切な人と出会って一緒にどれだけ歩いて理解しあえたかという「記憶」の方が私は大事に思えます。
そう思って、作品に戻ると、この作品は人生があるし、僕にとって文学です。
RE いざというときにわたしが寄りかかるために心に壁を作った
いざというときにわたしが寄りかかるために心に壁を作った#tanka
— 岩倉曰 (@wakuwakuiwaku) 2018年9月5日
壁は普通は、「誰か」から「私」を守るためのものですよね。
この作品、岩倉さんの作品でなければ、ユニークなアイデアだなあと思って素直に読みます。
でも、僕が作品を拝見してる範囲では、岩倉さんは心にロックが流れてるというかパンクが流れてるというか、繊細かつ「強い」方なのです。
そこを考えて作品に戻ると、主体がよりかかれるほどの「壁」って、「いざというとき」が来たとして、それは本当に主体のためだけに使われるでしょうか。
自分には、誰かを受け止める時に、心の中の壁を使ってでも踏みとどまるよという覚悟に見えるのです。そう受け止めると、私には岩倉さんワールドの作品に見えるのです。
「わたしが寄りかかる」といっても、いろんな状況があって、想像の余地を読み手に与えてくれる豊かな作品だなあと思うことでした。
RE ほら素因数分解で明らかになる片想い まだ解かないで
ほら素因数分解で明らかになる片想い まだ解かないで #愛と数学の短歌コンテスト
— ちーばり (@re10ga) 2018年9月5日
素因数分解、懐かしい!! 中学ですよね。三度の飯より素因数分解でしたね。
寝ても覚めても素因数分解。素因数分解せずに眠れないみたいな。
そんなわけないよね。普通に「便利」って思った程度です。
あと、うぶな少年なので、好きになってくれる子に対してはとことん鈍感で「なあに」って感じだし、好きな子は好き過ぎて敬語で話しちゃう、そんな感じでしたよ。
でも、同級生が「眩しい」なんて経験、思春期の特権じゃないかなあ。
で、「まだ解かないで」が最高にクールなわけです。
片思いが明らかになるプロセスというか、手法が素因数分解というのも、知的だし、あるいは「グレー」で曖昧にしときたいのに、簡単な「分析」かけるようなものだから、心の出来事を分析かけちゃう苦しさもあるかも。
主体が「まだ解かないで」と呼びかけているのは、心の整理を始めた主体自身ですよね。「片思い」なのだから。これが両思いであるなら、「あなた」に解かないでという歌も出来ますよね。
片思いってとても大切で、美しくて、心のエネルギー使うし、「かっこよくなるぞ」って頑張れる原動力になりますよね。でも、「ああそうか。あの人の目に自分は写っていないんだね」って現実と向き合うことはすごく苦しい。
だって恋愛なら「あなた」がいて、喧嘩したり相談したりできるし、話し合って別れることもできる。そういうのを孤独にやるわけですよね。
そこまで思う時、この「まだ解かないで」って絶妙なさじ加減、クールだと思いませんか?
生存報告
生きてました(涙目)。
た、短歌、大好きなんですけど、Twitterアカウント開くの20日くらいぶりみたいです。
通知59件たまってて頭抱えました。
スマホで確認できないくらい忙しかったの?
そうなの。
というわけで、たしか記憶に間違いがなければ、ふじ子さんから1通メール頂いたのですが、どう考えても反映無理なので、ご容赦ください。
大切な友達であり、私の一押しのアーティストであるぼんさんの『短歌短歌』のファンレターも書きたいし、何よりTwitterの短歌クラスタの皆様の作品を拝見したい!!!!
もう、まじでこの時間作ること「だけ」楽しみに生きてきたと言っても過言、ではないかもしれない気はする感じです。
ね、お疲れでしょ?
でも、生きてる。OK。