RE 好きだったことは覚えてる体温も匂いも忘れてしまったけれど
好きだったことは覚えてる体温も匂いも忘れてしまったけれど
— 清水ここに (@shimizu_kokoni) 2018年9月6日
清水ここにさんの恋歌が好きすぎて辛い。
もしご負担でなければ、ガチでKindle出版ご検討下さい。1冊2000円までなら出します。連作一枚でも、出します。
もう、無料で拝見しちゃいけないんじゃないかと心苦しくなるくらい、尊敬してます。
今回の作品は、「記憶とは何か」とか「最後に残るものは何か」とか、私達がいつか老いて記憶がおぼろになった時、それでも手の中に、あるいは胸の中に持っていられるものは何かとか、多くのことを考えるヒントをくれます。
たしか「音」は最後まで聴こえるときいたことがあります。
でも、音の記憶はなかなか自由になりませんよね。
僕らは視覚に偏った生き物だから。
人によっては、体温を忘れてもかすかに「触覚」つまり、手触りを覚えてるかもしれませんね。嗅覚は逆で、それは音楽とも似ているのですが、記憶を呼び起こすトリガーになることがありませんか。
あ、この香り、あの人が好きだったとか、あ、この空気の湿った感じはあの人とこんなことがあったなとか。
結局僕らは毎日それぞれ自分のすべきことをして、こつこつ歩いて、疲れても泣いても立ち止まってもとにかく歩いて、歩いて歩いて、最後に残るのは「記憶」ですよね。そこに、大切な人がいてくれたらいいけど、たぶん本質的にはそれって大事ではないですよね。その時大切な人がいてくれるかより、大切な人と出会って一緒にどれだけ歩いて理解しあえたかという「記憶」の方が私は大事に思えます。
そう思って、作品に戻ると、この作品は人生があるし、僕にとって文学です。