RE ろうそくの火はやさしいねかなしいね影絵であれば抱き合えるのに
ろうそくの火はやさしいねかなしいね影絵であれば抱き合えるのに
— 山口綴り (@Tsuzuri_YMGC) November 15, 2019
『 蝋 』 山口綴り #うたの日 #tanka https://t.co/kVtuXEcled ハートと音符をありがとうございます。そしておーそにぷ太郎さん、評をありがとうございます!
「やさしいねかなしいね」と「抱き合えるのに」と、火と影絵のイメージの重ね方がすごく美しい。
私は 「ろうそくの火」と、作品のトーン・空気感から、『赤い蝋燭と人魚』を連想しました。『赤い蝋燭と人魚』へのアンサーが、約100年経って届いたことを目撃したような気持ちでいます。
「赤い蝋燭」自体が悲しみや抗議や恨みが含まれているけれど、人と異なる異形で、そもそも抱き合う相手・分かり合える相手が与えられていない、作中の売られていく人魚に対して刺さる気がするのです。
「人になりたいとも、人魚の同胞を下さいとも言わないから、せめて影絵になれたらいいなあ」って。
そんな風に『赤い蝋燭と人魚』を経由して戻ってくると、人魚はいないけど、限りなく異形に近い孤立や孤独はいくらでも存在するから、影絵を想って立ち止まる間、僕らは小川未明が描いた人魚と同じ視点に立つのかもしれないですね。
人生の切り取り方って様々だと思うけれど、愛も男女も孤独も含まれていて、ほんとに凄い!!