RE もう時は戻せないのにあの夏にあけたピアスの穴がとじない
もう時は戻せないのにあの夏にあけたピアスの穴がとじない
— 井筒ふみ (@hutarimusume) 2019年11月19日
『 ピアス 』 井筒ふみ #うたの日 #tanka https://t.co/N6FT6DKMGJ
ありがとうございました。
人との別れも、人生の季節を振り返ることも、あるいは出来事を思うことも、全部含める、大きな作品だと感じました。
ピアスの穴は勢いや心の熱量がないと、なかなか開けられないように思うのです。とじないのは、心の穴もあるかもしれませんよね。
そんなもろもろが、「もう時は戻せないのに」で束ねられている。
分かっている、理解している、でも、心がついてこない。納得の手応えがない、決着しないことってあるなあ、この気持ちが「あの夏」へ繋がるのかもしれないなあと、思わされるのでした。
RE 三度めの夏を迎えた僕たちの暇だねとしか言わない時間
三度めの夏を迎えた僕たちの暇だねとしか言わない時間
— 岩倉曰(2号店) (@wakuwakuiwaku_2) November 18, 2019
(うたの日「暇」)#tanka
付き合って三度目の夏ですよね。
関係性が慣れて楽になってきたり、話すことが減ったり増えたりするかもしれない。
特別だったことが日常になっていくことと
幼い頃の、永遠みたいに長く感じられた夏休みの時間の流れが、私の中で重なって、この作品にとても惹かれました。
主体達は、「暇だねとしか言わない時間」にたどり着くまで、どんな紆余曲折を経たのでしょう。
- 夏
- 迎える
- 僕たち
- 暇だね
この言葉の編み方が、私には刺さったみたいです。
RE 三葉虫三構造に虫が付き 待て?読み直せ、虫の祖先!(°益°╬)
RE 夜歩く君はつぶやく「何だあれ...」 「何イエロー」だ? お前、色の話か(°益°╬)
なるほど。
「そっち?」って、キャッチボールするのに疲れることありますよね。
これが、惚れ込んでる相手だと、苦にならないというか、文句言いつつ「好きなんだよなあ」って振り回されるは引きずられるはになるんですよねぇ。
最初はそうだったのに、だんだんそうじゃなくなっていくことに、どちらが気づくかなども深いですよね……。
色の数というか語彙というか。僕らは「白」をそんなに細分化しないけど、イヌイットか何かの文化だと語彙が多かった気がする。そもそも色の語彙、私はそんなに多くなかったなあ。
前世は犬って言われたことあります。うん。
RE ろうそくの火はやさしいねかなしいね影絵であれば抱き合えるのに
ろうそくの火はやさしいねかなしいね影絵であれば抱き合えるのに
— 山口綴り (@Tsuzuri_YMGC) November 15, 2019
『 蝋 』 山口綴り #うたの日 #tanka https://t.co/kVtuXEcled ハートと音符をありがとうございます。そしておーそにぷ太郎さん、評をありがとうございます!
「やさしいねかなしいね」と「抱き合えるのに」と、火と影絵のイメージの重ね方がすごく美しい。
私は 「ろうそくの火」と、作品のトーン・空気感から、『赤い蝋燭と人魚』を連想しました。『赤い蝋燭と人魚』へのアンサーが、約100年経って届いたことを目撃したような気持ちでいます。
「赤い蝋燭」自体が悲しみや抗議や恨みが含まれているけれど、人と異なる異形で、そもそも抱き合う相手・分かり合える相手が与えられていない、作中の売られていく人魚に対して刺さる気がするのです。
「人になりたいとも、人魚の同胞を下さいとも言わないから、せめて影絵になれたらいいなあ」って。
そんな風に『赤い蝋燭と人魚』を経由して戻ってくると、人魚はいないけど、限りなく異形に近い孤立や孤独はいくらでも存在するから、影絵を想って立ち止まる間、僕らは小川未明が描いた人魚と同じ視点に立つのかもしれないですね。
人生の切り取り方って様々だと思うけれど、愛も男女も孤独も含まれていて、ほんとに凄い!!