短歌読みます、うたあつめ。

拝見した短歌への、返歌や感想を書く、公開ファンレターです。

RE 女性いる?まるで僕らがゴミみたい(°益°╬)

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「どうせ、男だけなんだろ?」の意味なのか、「女子いるなら混ぜて」なのか、どちらなのだろう。どちらにも読める気がする。

 

個人的には、そうたずねてくる方とは距離を置きたいので、「男だけだし、店も予約してあって調整できないごめん」とか、塩対応すると思う……。女子がいるいないに関わらず、嫌なお酒になりそうな予感しかない><

 

RE 自転車をヨケて手に持つ容器から 一粒落ちるナタデココ

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視覚的にも、詩歌の音・響きも、楽しい作品ですね。

 

ちなみにボツの「ナタデココ乙」は、「乙」一文字で一気にミステリアスになりますよね。

 

「お疲れ様」の「乙」ではありますけど、スラングだけに皮肉で使われることがあるし。ナタデココ乙ってどういう状況なのでしょう。

 

容器から飛び出し、主体を守っておつかれとかなのかな(意味がわからない)。

意味がわからないことも、それはそれでありかなあと思わされたりするのでした。

 

氷でもタピオカでもなく、水滴でもなくナタデココなのが興味深いです。

プルンって、きっちり着地決めてくれそうです。

着地お疲れ様って意味だったのか(違う)

 

RE 仲直りしようと言えずハチミツを多めに入れたクッキーを焼く / かわいくてやさしい私は愛されて 彼は私を見て見ていない

共感します。

クッキー焼くという行動・選択肢があるだけ羨ましいかもしれない。

 

喧嘩するのは簡単なんですけど、仲直りできる関係性より強い喧嘩をしちゃうと、修復するの大変ですよね。鍵のかかった箱を開けたいのに、鍵は箱の中にある! みたいな感じ。かといって、喧嘩しないで過ごせば、仲直りできる関係性に育つわけでもなくて。

 

正解なくて「どうしろと?」って問題が、太古から今日まで繰り返されてきたわけですし、「言えなさ」を察する力とか、色々大事なんですけど、そこを「ハチミツ多めのクッキー」で切り取ったのが、オシャレだと思います。 

 

……ハチミツ多めのクッキーと気づけ無い舌の持ち主で、仲直りのサインと察することが出来ない相手だと、主体の頑張りが空振りになってしまうから、届くといいなあと応援したくなる、作品です。

 

こちらは、「温度」がスッと下がる作品かもしれないですね。

「この人は私に何かを投影してる」のかもしれない。

「いや、そこは事実だけど、見て欲しい・受け入れて欲しいのはそこじゃない(優先順位の不一致)」かもしれない。

 

なんだろう。

「コミュニケーション大事にしようって言ったよね」

「話し合って来たじゃないか」

 

とか、色んなすれ違いってあると思うのですけど、ズレが生じます。お互いに分かる言葉を探せる二人なら、だいたい乗り越えられるのですけど、気力体力に限界あるから、ズレに気づく感受性の高い側が先に消耗しちゃうんですよね……。 

 

距離感・関係性が近いから生じる悩みではあると思うのです。

どうでもいい人なら、なんのこともなく流せるけど、大事な人だからこそ「ズレ」を見過ごせないことってありませんか?

RE 言祝ぎのことばを探そう 言霊はあると言い張る僕なのだから

 

美しい。

メタ的というか、詩歌・短歌を作る方がこう詠まれること自体、すごくいいと思います。

 

誰かを送り出すのかもしれない。

大切な人との別れの歌かもしれない。

なぜ、主体が「言祝ぎのことば」を探そうとしたのかは分からないです。

おそらく言葉を大事にする主体なのに「探す」必要があるのは、気持ちと理性に葛藤が生じる場面なのかもしれないです。

そうじゃなくて、理由はないけど探したのであれば、主体の「あり方・生き方」に共感します。

 

言祝ぎのことば、探したくなりました。私は幾つ持っているだろう。

何度、となえて来ただろう。

 

RE 元カノの話を聞いてヘコむほど飼い慣らされてなんてあげない / いまどきはどこもかしこもスケルトンいともたやすく奥のほうまで

「飼いならされてなんてあげない」は、距離感かなって受け止めました。

なんでも話し合える関係性は比喩みたいなもので、信頼関係とか安心感のことだと私は考えています。

元カレであれ元カノであれ、包み隠さず話す側は楽だけど、聴いて胸に収めてまるごと受け入れる側は大変ですよね。それぞれの正解があるから、話したい・聴きたい人を止めはしないけど、私は話さなくて良いこと・聞かなくて良いことってあるかなあと思っています。

 

そのカードは通用しないからね! というか、花と棘というか、チャーミングな作品だと感じました。水面下でのジャブの応酬というか。関係性に季節があるとしたら、一緒に歩き出すかどうかって時期かなあ、なんて思うのでした。

 

 こちらは、スケルトンから想わされることの幅が広くて、味わい深いです。

ケルトンな作りから、情報と可視化を連想します。何がスケルトンなのかを考えるのも楽しいですし、どこのどれくらい奥なのかも、また。

 

また、詩歌・短歌って「音」でもあるから、音読して、リズムの良さも楽しめますね。

キリッとしてイナセな感じがします。

RE 家を出て夜中歩もうドトールの ちょっと甘めのチャイまでの距離

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アジカンの「君の街まで」じゃないけど、ドトールのチャイまでの距離、いいですね。

 

ドトールがやってる時間帯の「夜中」というのも、街が寝静まっていく時間帯だから味わい深いですね。

 

主体は最初からチャイが飲みたかったのかもしれないし、夜の散歩を楽しんでいたら、ドトール行こうかなと立ち寄ったのかもしれないですよね。

都会の選択肢の多さも含まれている作品だなあと感じました。

 

15km歩いたけど誰も居ない! みたいな広い広い場所もあるでしょうから。

チャイ、美味しいですよね。

 

RE わざと寝たフリして恋の駆け引きができたような気になって 夜明け

「気になって」が、すごく素敵だと思います。自分を客観視しているから。

 

主体がパートナーと喧嘩してるかどうかは分からないけれど、 安心できる距離で、安心できる場所なんですよね。

お部屋かもしれない。

あるいは車かもしれない。

また、「せっかくの休みなんだから」と起こさないこと。もしかしたら、「頑張ってるから疲れたのかな」と、(寝たフリと気づいてるかどうかはともかく)寝息も愛おしく聴いている「かも」しれない。

 

駆け引きも二人の関係性のためにとても大切なものだけど、「場」「状況」「主体と接するパートナーの想い」などをイメージしていくと、代入していくと、すごく優しい空間が広がるように私は感じました。

まるで、凪の海や、聖域(サンクチュアリ)のようで。