RE 仲直り端末装置としてすッごい飛行機を折り背中をねらう / ヒーローでいてね、いつでも、いつまでも、わたしが河を渡ったあとも
ヒーローでいてね、いつでも、いつまでも、わたしが河を渡ったあとも
— 山口綴り (@Tsuzuri_YMGC) November 5, 2019
『 ヒーロー 』 山口綴り #うたの日 #tanka https://t.co/5wB7vYvNZz 音符をありがとうございます。そして忠さん、評をありがとうございます!
一首にこめられた願い・祈りと、長い長い時間がとても心に残ります。大切な人だから私より後からおいでとかではなくて、たぶんそんな気持ちも「あとも」に含めた上で、かつ「ヒーロー」でと詠まれている。すごくいい。
言われた側は責任重大です。おそらくはりきり過ぎて、「そこまで求めてない」って主体に引かれたりするのかもしれない。
誰もが誰かのヒーロー・ヒロインで、飾りすぎない身の丈のちょうどよさ・無理のないさじ加減、疲れない関係性を探してるのかもしれないですね。
仲直り端末装置としてすッごい飛行機を折り背中をねらう
— 山口綴り (@Tsuzuri_YMGC) November 6, 2019
『 端 』 山口綴り #うたの日 #tanka https://t.co/61JlEAd60H 音符をありがとうございます。そして織部壮さん、評をありがとうございます!
これは都会的ですごくオシャレだと感じました。
発想と関係性が素敵。
喧嘩して物凄く怒ってる時に紙飛行機届いても気づかないかもしれないし、余計こじれるかもしれない。そうではなくて、お互い「きっかけ」探してるくらいの温度の状態なのかなあと思うのです。
猫とか眺めてると、いつのまにか仲直りしてることないですか? 仲直りのしかた、鉾のおさめ方も、家風というか個性というか、色々ですよね。
ちなみに、背中の持ち主の注意が逸れ、喧嘩したことも忘れるくらい、すッごい紙飛行機の場合はですね……。特許とって本を出すと、仲直りが苦手な方々が救われるかもしれません。
「最近、すッごい紙飛行機に狙われない?」
「君も?」
そんな会話が、生まれるかもしれないですね……。
RE それとなく作り始めたチャーハンをその一言で激辛にする
それとなく作り始めたチャーハンをその一言で激辛にする #短歌
— 朝倉冴希@短歌 (@dassan34) November 7, 2019
かわいい!
激辛で済ませてあげるというか、結局作ってあげるというか。作る目的が激辛を食べさせることにシフトしているかもしれないですけれど。
「その一言で(フライパンを)振り下ろす」
「その一言で(熱したフライパンを)押し付ける」
とか、脳裏によぎるくらい酷い一言だってありますよね。
主体の性別も、主体に「その一言」を放った人物との関係性も分からないけれど……。
私は男性を生きているので、女子にされて一番困るのは「口きいてあげない」です。
それを加えると、無表情で、無言で、スッと激辛チャーハンを出されたら怖いだろうな。ていうか、お料理してる段階で、キッチンからスパイシーな香りがしてきそうな気がするのです。
あれ? もし私が主体の立場だとしたら、激辛チャーハン出した時点で、さらに戦争が激化すると思う。激辛チャーハンより辛い人達だったのかもしれません……。
作品に戻ると、一言を放った人物は「キッチンから辛い匂いしてきたら、土下座」って、心に刻む気がするのです。
RE しゃぼん玉ひとつ隙間にさそう人 道の途中で取り込まれてく
発想から作品へとイメージが変化しているのも興味深いです。
「しゃぼん玉でさそう」ことも不思議なイメージですけれど、そうだな童話とか昔話みたいな感じがします。ハーメルンの笛吹き男とか。
でも、「さそう人」と「取り込まれてく」って普遍性がある組み合わせかなって思いました。関わってはいけない勧誘ってあるし、分かりやすい「さそう」だとグラビアアイドルのお仕事とかイメージします。その場合、「取り込まれる」ってどういう状態なんでしょう。熱心なファンなのかな?
「興味を引く・魅了される」の度合いを一歩進めた感じかなって受け止めました。
RE 常日頃思うことには含まれて その方角を風を知ること
表現や創作による昇華の原動力かもしれませんね。
私は昇華できるほどの腕はないので、祝福することにしています。
「よかったね」
「努力が報われたね」
「元気でね」(元気そうだね)
「幸せにね」(幸せそうだね)
そんな感じで。
これは僕の、お人好しという処世術かもしれないですね。
RE 足下の葉の色は紅どれだけの 時間が僕に残されていて
珍しく、下手くそな返歌を。
足下の葉の色は朱に深まって今日・今だけが立ち現れる
時が来て煙になって終わる日に泣いて傷つく人よ出るなよ
個性も人生観も全員違うし、さらに、その物差しを使ってどこにどう焦点をあてるかで違ってきますよね。
僕は痛いのも怖いのも苦手です。怖い映画も怖い本も無理。
体が弱い少年だったからか、注射は慣れたかもしれないですね。女性と違って血管太いですし。
「死」「晩年」「葬儀」等を少しは人生経験として持つと、遺された側へ痛みを与えないで済むといいなあと思うようになりました。でも、痛みは他人が感じるわけだからコントロールできないわけで、自分の死後にまで気を使ってしまうのは自分らしいと苦笑しています。
そうですね、痛くないのがいいな。
RE 散々だ母にLINEで愚痴るのを 終えてレンジにクリームシチュー
料理って不思議ですよね。
僕らはスキルの前に「舌」、食べて育つわけで、自炊の物差しはおふくろの味も含まれているから、作る味も自分の家の味に近くなりますよね。
そうなんだけど、やはり別格なのはわかります。
作品の状況をイメージすると、愚痴りたくなるくらいの時だからこそ、「これじゃない」って思うのかもしれないですね。
RE ウォーキング笑顔のウェルシュ・コーギーの おケツばっかり追っかけている(๑• ̀д•́ )✧+°ドヤッ
人懐っこいし、いっしょうけんめい走ったり歩いたりするし、可愛い種族ですよね。
僕は犬派経由で猫の奴隷になった生き物ですけど、犬もいいですよね。
犬といえばお手ですけど、40〜50kgある大型犬に、「熊かよ」って感じの重いお手を食らってみたいです。
「遊ぼう」ってちょっとじゃれただけで、タックルかよってなるんでしょうね。