RE 亜熱帯の空間を去りやわらかな 球体をもち空に転がす
なるほど。
考えてみたら、夏と冬って、光は夏が鋭いけれど、温度に関しては冬の「刺す」ような冷たさと対称にはなっていませんよね。亜熱帯な空間は、もっと丸みがあって、じっとりしてる。
体温と同じくらい暑い空気に包まれて、冬より自分と世界の境界が曖昧になるかもしれない。
そんな空間を去ること、抜け出すこと、空間が通り過ぎたことを経験して、「もち空に転がす」って視点が興味深いです。雄大。
RE 向日葵が枯れてうつむく静けさの 夏の終わりを歩み進めて
背の高いひまわりが、夏の青と張り合うように、どこまでも黄色く輝いてる有志、そういえばこの夏見てないなあ。忙しすぎたり、お天気に気を取られてたかもしれません。
夏にお祭り騒ぎするわけじゃないのに、夏の終わりって「静けさ」があるんですよね。
光量だけでも、桁外れだから、慣れてしまって気にならないだけでお祭り騒ぎが通り過ぎたのかもしれませんね。蝉の声は聞こえても、光の洪水は音として聞こえないから。
RE 見せはしない年が離れたあなたには 見えない宙に在る水蒸気
「鈍感なのかな、気づかない振りなのかな?」って状況を連想しました。色んな解釈が出来ると思う。
「見えない宙」を私達は幾つも抱えて生きているのだから、そこにたしかに在る水蒸気の総量って凄いことになりそうですね。水から、天気の子、連想してしまいます。
みなさん、もうご覧になられましたか?
RE 壁にあるやや傾いたカレンダーを 整えて 見る今日の前後を
いいですねー。
これ、枯れた感じがして凄く好きです。
用があってカレンダーを見る時は、フォーカスあてたり、スキャンしたり、サーチする感じで、まったりとかゆったりとか、味わうこと、ただ見ることが出来ない気がします。
すごく傾いたのではなく「やや傾いた」カレンダーを整えるって、そんなに優先順位高くないことだと思う。それを行えるくらい静かな時間があって、それはお香の煙が静かに立ち上るような空気感と似ている気がして、見るともなくただ「見る」ことって、じつに豊かなことだと思うのです。
RE 寝る前に米を一回炊くだけの 気力がぼくに、あればの話..(; ・`д・´)
自炊。冬茹(どんこ)をもどして、しいたけご飯作るのが好きでした。炊き込みご飯って燃えませんか? 鳥のささみとしめじの炊き込みご飯とか、冷めておにぎりにすると海苔まで美味しいです。
自分の原風景の料理・献立ってありますね。パスタの方もいるでしょうし、パンの方もいるでしょう。
共働きのご家庭も多いと思うから、毎日の食卓を保つって大変な労力ですよね。
ぼんさんの作品から借りれば「気力」の積み重ねが凄い。
RE 水面の下から泡が昇るのを 見つめるそれは淡い緑の
シャワーで済ませず湯を張るって、いいですよね。
お風呂の支度をしている段階かもしれない。
お湯に入っているのかもしれない。
「泡」が淡い緑であることは、ぼんさんワールドに訓練された読者は受け取れるわけですけれども、「見つめるそれ」が淡い緑の何かでもいいですよね。
そう受け取ると、一気に村上春樹的な世界になっていくというか。
緑色の獣って作品がなかったかな……。