RE 本当に平等な世だと思います?」洗濯ばさみに尋ねられる午後
「本当に平等な世だと思います?」洗濯ばさみに尋ねられる午後
— 清水ここに (@shimizu_kokoni) 2019年7月22日
恋愛が進展して対等は成立しても、平等ってなんだろうって考えてしまいます。機会の平等・結果の平等、色々。
「洗濯ばさみ」は平等じゃないことを理解してるから問うているんですよね。「選択」して挟む役割ですし。機械的に洗ったものを挟むだけではないです。
洗って貰えずに廃棄される衣類もありますよね。
洗濯ばさみは黙々と役割に徹してきたのでしょう。
でも、主体に対して、「ねえ」と話しかけずにはいられなかった。
もしかしたら、問いかけても主体には聞こえないかもしれない。それでも言わずにはいられなかった。それほどの葛藤や矛盾があったのでしょう。
違う読み方もできます。
洗濯ばさみに助けてもらいながら、午後にお洗濯物を片付けているのは平和な時間ですよね。平和だからこそ、安心できるからこそ、「いつか言おうと思ってたけど」と話せる場が生まれることもあります。
洗濯ばさみの問いの裏・真意・主訴はいったいなんだったのでしょう。
「頑張りすぎる君が心配だよ」なのか。
「君が見落としていることにヒントを与えたい」なのか。
平等はわかんないけど、対等は目指したい、それじゃ答えにならないだろうか。
まずは、そうお返事したくなる一種でした。