RE 不幸とか誰が決めるの?愛されてでも朝ごはんは美味しくなくて
不幸とか誰が決めるの?愛されてでも朝ごはんは美味しくなくて
— 清水ここに (@shimizu_kokoni) 2018年12月21日
「答え」は清水さんが既にお持ちな気がするんです。
「これが正しい」にしろ、何かを評価するにしろ、「基準」を決められることってものすごく強いですよね。空気を読んで他人に預けることもできるし、学業や仕事等で従わざるを得ないことだってあるけれど、それでも。
とくに愛されなくても朝ごはん美味しいです、みたいな今の私になるまでは、やはり「なんか体調変」とか「食べたくない」とか「味がしない」みたいな経験をしました。自分の体の声に耳を傾けることってセンスだしサバイバル能力でもあると思いますが、出来なかった時期がありました。
清水さんの作品に戻ると、体は、あるいは身体反応を通して心はサインを出している、そのことをキャッチされている。でも、大切な人に愛されている。これ、すごく引き裂かれますよね。そんな、引き裂かれる状態・葛藤の中に置かれたと考えると、「不幸とか誰が決めるの?」という問いが、よりくっきりと立つと感じられます。