RE 陽が道に写す私のりんかくと ある建物のそれが交わる
夕暮れの街を僕らは何を見て歩いていますか。
夕ご飯何にしようかなとか、待っている人や、自分が待ちたい人の顔を思い浮かべて、足早に通り過ぎているかもしれませんよね。
でも、そうではなくて、足を止めて綺麗な西日だなとか、あの雲が好きだなとか、中学生の頃にすごく辛くて空見てた日に見た雲と似てるなとか、周囲を見て味わうことも出来ますよね。
ぼんさんは「陽」としか表現していないけど、「りんかく」つまり「影」がのびてわかりやすいのは夕刻だと私は受け止めました。でも、真昼だって、この作品で描かれたことは起きますよね。影の角度が異なるだけで、
そういう解釈の自由と、そして空とか陽とか目がいきやすいものではなく、主体や主体がいる街の「りんかく」に目を向けることが出来る点に、惹かれました。
返歌
陽が道に写す私のりんかくは 交わるそれを持たないでいる
陽が道に写す私のりんかくを ある建物が受け入れていく
足元に自分の影があるなんて 思い出すのは10年ぶりで