RE 歯ブラシを一本捨てる 最後まで喧嘩がへたなおれたちだった
歯ブラシを一本捨てる 最後まで喧嘩がへたなおれたちだった
— 夏山栞 (@72yama_tanka) 2018年6月4日
『 喧嘩 』 夏山栞 #うたの日 #tanka https://t.co/JCJl1Xo3aB
お題「喧嘩」でした。雅夢士さん、評をありがとうございました!
「おれたち」は、例えばLGBTの同性カップルかもしれません。でも、男性視点というだけで、おそらく、男女のカップルなのでしょう。
どちらでも解釈できますが、いずれにせよ、「歯ブラシ一本」と、わざわざ上の句で歌われるということは、もしかしたらこの「おれたち」は、1つの歯ブラシを共有できるほど親密な間柄だったのかもしれません。
それを捨てる日が来た。
喧嘩って、私は、バックボーンの異なる二人がお互いを理解するために不可欠なものだと考えています。二人の持っている文化のバックボーンは異なるのですから、そして別の人間なのですから、同じ言語で話していても、「ズレ」は必ずあります。
喧嘩していく中で、この「ズレ」を微調整し、「この人にはこう言えば伝わる」と理解が深まり、関係性が深まるのではないでしょうか。
だから、私には「最後まで、理解し合うことが苦手だったね」という、関係性の終わりに対する答えのように思えるのです。そう感じる私には、「最後まで喧嘩がへたなおれたちだった」という言葉は、「ずっと分かり合おうと取り組み続けたけれど、お互いに出来なかったね。一生懸命だったのにな」という悲しみとして響くのです。
キッパリしてて、じめじめしていないけど、深い悲しみがある。
そんな点に惹かれました。
返歌
歯ブラシを一本捨てた僕たちは喧嘩を始め27時だ
歯ブラシはセットで捨てるルールです二人が共に生きるまじない
喧嘩はね口論だけと決めたでしょ 振り上げている 椅子 おろそうか