短歌読みます、うたあつめ。

拝見した短歌への、返歌や感想を書く、公開ファンレターです。

RE 高性能すぎるボトルに希望とか入れてみたけど熱くて飲めない

家族として一緒に暮らした動物を見送った歌かなと受け止めました。ボロボロに泣いてるかもしれないし、逆に、変に冷静で、泣けたら少しは楽になるのにみたいな状況もありますよね。「ポンポンのお腹にさわり」という表現から、私は対象への愛おしさを感じました。そして「少し笑えた」は、「君は確かに生きていたのにね」とか「赤ちゃんの頃もあったのにね」とか、一言で言えない「喪失への悲しみ」と、今、命が失われて、やがてなきがらも荼毘にふすから、じきにお腹に触ることもできなくなる。そうした、不条理と向き合っている、苦い笑いだと感じました。

 

こちらは、上記作品と繋げて読みました。作品単体で見れば、例えば「恋人の不在」とか、「君」から他の情景をイメージすることもできますね。

「柔らかな春のひかりの柱」まで、とても静かで優しいイメージですよね。そこに「刺さる」と出てきます。主体は「空っぽの君のベッド」に対して「刺さる」と感じているはずですが、愛した生き物の不在・喪失という状態に置かれているから、柔らかな光さえ「刺さる」ように感じるのでしょう。

なら、この光は、ズキンと、主体にも刺さっていますよね。

 

どちらの作品も、悲しいとか苦しいとか切ないとか喪失感が苦しいと、一言も使わずに、でも、それらが伝わってくるので、凄いと思いました。

 

「冷まして飲んでね」と希望が言い出したら面白いですね。「火傷しないでね」とか。希望とはココアみたいな飲み物だったのでしょうか。

「高性能すぎるボトル」を、私は魔法瓶機能つきのタンブラーか何かだと理解しました。魔法瓶が高性能すぎて、熱湯が熱湯のままだよ、ということは日常にありますよね。そこに「希望」を入れたことで、この作品の魅力が引き立ったと思います。

希望を魔法瓶に入れたり(ボトルに入れたり)、飲んだりする発想自体がありませんでした。比喩だと考えると、希望に対する「高性能すぎるボトル」や「飲めない」ってどんなことになるのでしょうね。

例えばすごくポジティブで情熱的な人がいたとして、その方の抱いている希望が「熱すぎる」から、そのまま受け取りにくい(飲めない)ということは日常で起きるかもしれませんね。

言ってることは分かるし、そう感じられたら素敵だけど、ごめん、気持がついていかない、みたいな。

私には無い発想に触れられて、じつに楽しく鑑賞させて頂きました。

 

 

返歌

なきがらを秘密の基地に横たえる君の愛した花をお供に

 

家中の何を見たって君がいる 君がいるのに何故いないのさ

 

最近の電子レンジは優秀で凍った希望うまく溶かすね