RE ただひとつの手相を星座にしてみたい両の手のひら夜空に向ける
紙飛行機いっぱい飛ばす着陸の場所それぞれをミライと呼ぼう
— Shoco.K (ㆁᴗㆁ✿) (@shoco_chocola) 2018年5月28日
/九条しょーこ #tanka 17/10/30
【けものフレンズ詩歌アンソロジー『けもポエ!』連作「うたえフレンズ」収録】
2017自選短歌→ https://t.co/zchEjC2DyT
上記で紹介されている、著者さんの2017自選短歌から、4首引かせて頂きました。
失物は出る待人も来るって何にもなくても神の励まし
まず、「何にもなくても神の励まし」が「それにつけても金の欲しさよ」みたいに汎用性が高いと思いました。
例えば、「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺何にもなくても神の励まし」とくっつけても、あまり違和感なくありませんか? この安定感抜群の下の句が、おそらく御神籤なのでしょう、失物出るし待人も来るって、「ちょっと神様、接待してません?」って幸運な内容を受けて、ユーモアある作品世界になっていますよね。
「嘘でもいいよ、当たらなくてもいいよ、励ましてくれたんだね」みたいな、信じすぎるわけでも、突き放すわけでもなく、理解した上で、さらっと相手の土俵に上がれるような自由さも感じました。
紙飛行機いっぱい飛ばす着陸の場所それぞれをミライと呼ぼう
凄い。美しいし、雄大ですし、希望がありますよね。何人もが一斉に「いっぱい飛ばす」のか、一人でたくさんの紙飛行機を「いっぱい飛ばすのか」、前者なら華やかですし、後者ならより「ミライ」の手応えを必要としている状況なのかなと受け取りました。
紙飛行機でもいい、あるいは花の種でもいい。バッと蒔いて(飛ばして)、それぞれの着陸・着地した場所で、咲けばいいんですよね。
無機物である紙飛行機に想いをこめて飛ばす先に「ミライ」を置いたことで、まるで紙飛行機が花の種を運び、そこから花が咲くような、不思議なイメージも抱きました。
あるいは、無機物の紙飛行機自体が、「ミライ」を咲かせる「花」の役目をしているのかもしれないですね。
「それぞれのミライと呼ぼう」とされたことは、多様性を肯定し励ますことのように、私には感じられるのです。
よくもまあ朝からフラペチーノ飲めるね 褒めてないのににこにこしてる
これは、関係性が微笑ましくて好きです。朝からご自宅でフラペチーノは入れないでしょうから、スタバとかタリーズみたいなお店で買われたのでしょう。一緒の大学なのかもしれない。通勤するのが途中まで一緒なのかもしれない。あるいは休日デートなのかもしれない。徹夜で遊んで、お店が開いたから一休みしてるのかもしれない。
いずれにせよ、朝早くから微笑ましい二人ですよね。
「よくもまあ」と「それ、重くないの?」と呆れてるのだけど、にこにこしてる。なぜにこにこしてるのでしょう。それくらい、楽しくて、幸せで、好きなのでしょう。
だから、呆れている側の呆れ方も、さじ加減が優しいですよね。
関係性とか、その場の空気感とか、すごく伝わってきます。情景の切り取り方、好きです。
ただひとつの手相を星座にしてみたい両の手のひら夜空に向ける
この歌は、2つの意味で感動しました。
1つは、僕が幼かった頃、星座というものがあることを知って、誰が作ったのかなと子ども向けの科学絵本を眺めていた時の気持が蘇りました。
1つは、メソポタミアかどこかで、星座を作った人がいるわけですよね。メソポタミアから伝わっただけで、もっと前からあったのかもしれない。タイムマシンは無いので、星座を作った人達のことを確認しようがないですけど、もしかしたら、こんな気持ちで星座を作ったのではないだろうかと思わされました。
「好きだ・愛おしい・かけがえがない」という気持ちかもしれない。
あるいは、両の手のひらはただひとつの手相とされていますから、主体の手のひらかもしれませんよね。その場合は、「私がここにいて、確かに生きたことを夜空に刻む」って読み方もできるかなと思いました。
どちらであっても、繊細な想いと、壮大な広がりが感じられ、とてもとても魅力的です。
返歌
若者の神社離れがありまして御神籤使う神の営業
(自分でもテンション高いの分かってる 味わかんない君がいるから)
あと少し背伸びをすればこの僕も星座の隣触れられますか