RE 左手に君が噛み付いた痕がある痛かったけど噛まれてよかった
昔飼ってた犬が死んじゃった時のことを思い出してました #短歌 #tanka pic.twitter.com/i5xXk14rg8
— 清水ここに (@shimizu_kokoni) 2018年5月13日
連作「まんまるないのち」を拝読しました。
看取った犬と猫のことを思い出しました。幼い頃から一緒に暮らした動物達ですから、喪失感も大きかったです。
「癌だって」「へえそうか犬も癌になるのか」どう思えばいいんだろうか
どう思えばいいのでしょうね。
「へえそうか犬も癌になるのか」って、あまり配慮のある言葉では無いと思います。家族として一緒に暮らした犬が重い病気にかかったとして、こんな風にしか言えない誰かに打ち明けるでしょうか。僕は、家族や恋人など、すごく近い距離の人との会話だと受け止めました。だとすると、強い衝撃を家族も受けますよね。言葉出ないですよね。
そんな時に、呆然としてつふやかれた言葉かなって、私には思えるのです。
最後だけ隣にいられなくてごめん いつも隣で寝てたくせにね
共感しすぎて、胸にズキンと来ました。犬が怖かった私に、友達のように、すぐに私を追い抜いて姉のように母のように祖母のように接してくれた犬がいました。生きて死ぬってこういうことだよと、身体の隅々まで命を使い果たして、天寿を全うしました。
明らかに、もうもたない、看取ってやりたいという朝、どうしても私は行かなければいけなくて、電車に乗りました。自宅から50kmくらい離れた大都市に着いた頃、携帯が鳴りました。
僕も「最後だけ隣にいられなくてごめん」という思いが、胸に刺さっているので、この作品が本当にリアルに感じられました。
「いつも隣で寝てたくせにね」は、「最後だけ」と対になっていて、表現として美しいとです。
左手に君が噛み付いた痕がある痛かったけど噛まれてよかった
見送った猫が、ボロボロにした壁紙(ものすごくご機嫌で爪とぎしてました)とか、様々な痕跡が全部、私にとって形見だったし、犬には怪我させられませんでしたが、猫と遊んで出来た傷跡は腕に残っています。痛かったから噛まれてやだったはずなのですけど、「噛まれてよかった」となる心の働きは、とてもリアルですし、普遍的だと感じました。
返歌
「無理だって」「もう無理なのか」 心も時も言葉も凍る
最後まで君の瞳を見ていたよ良く生き抜いて立派だったね
左手に僕が噛み跡残したね 僕にとってはあの頃のまま