RE 自転車に初めて乗れた僕にだけ見える景色に僕だけがいる
自転車に初めて乗れた僕にだけ見える景色に僕だけがいる#tanka #jtanka #短歌
— たろりずむ (@tarrorism) 2018年5月15日
たろりずむさんの作品世界、とても魅力的です。今回は郷愁を刺激される作品です。
昔のゲームに『MOTHER2』って作品があります。ドラクエとかだと移動手段は船とか空を飛ぶ何かなんですけど、『MOTHER2』はバットもって冒険する男の子ですから、町の中を自転車で走ります。その音楽が、なんとも素敵なんです。
たろりずむさんの短歌を拝見して、その音楽と重なる気がしました。
この作品は、すごく圧縮してある気がするのです。
「自転車に初めて乗れた僕」は、小学校低学年くらいでしょうか。もっと早い子もいるかな。自転車の練習といえば、家族に倒れないように後ろ押さえててもらって、知らないうちに手を離してもらいませんでしたか? 「見える景色に僕だけがいる」は、乗れて嬉しくて高揚して、その嬉しさで明るく照らされた景色の中には僕だけがいるのかなと思いました。あるいは、大人の力を借りずに一人で練習したのかもしれません。
そして、この歌がとても魅力的なのは、「自転車に初めて乗れた僕にだけ見える景色に僕だけがいる」し、今もその頃の景色を忘れていなくて、例えば自転車に乗ったりした時に、あるいは何かのきっかけで、今でもありありと思い出せる状態も含んでいるように、感じられる点です。
圧縮と書きました。自転車に乗れた晴れがましさを描くことで、主体と自転車とのその後の歴史まで感じさせる広がりがあると、私には思えるのです。31文字で、こんなことができるのですね。
返歌
自転車に初めて乗れた日曜日 痛くなかった打ち身擦り傷
自転車を捨てたあの日に僕だけの景色を落とし僕だけになる
うちの子が初めて乗れた今日だからあと五秒だけ永遠よ 来い