短歌読みます、うたあつめ。

拝見した短歌への、返歌や感想を書く、公開ファンレターです。

RE 誰もいないのになんとなく遅くには帰れない誰もいないのにな

連作「ひとりぐらせない」を拝読しました。褒め言葉のつもりなのですけど、虚無感みたいなもの、虚しさかもしれないけど、それが連作に通底してるように感じました。

淋しいとか愛しいではなく、虚無感。

あるいはやるせなさとか、虚脱感もあるかもしれません。

 

一人暮らしあるあるですし、でも、感性も視点も異なるから、すごく興味深い。

共感しつつ、そんな表現があるのかと驚かされました。

 

生まれ変わりするのも綺麗なゴミだけで汚いゴミって燃やされるじゃん

 資源ゴミと燃やされるゴミは確かにわかれますよね。不要になった物は等しくゴミのはずなのに、選別されています。作品に触れるまで、疑問も抱かなかった。

「綺麗なゴミだけ」という表現と、「燃やされるじゃん」という言葉が、印象に残りました。そして、この作品を「比喩」だと考えると、例えば「じゃあ、私はどっちに分類されるかな、どうせ燃やされるのかな」みたいにも読めるから、興味深いです。

 

人と話さなかった日の私とかそれヒトなのかな気持ち悪いな

 一人暮らしに、もう最適化されているので、「落ち着く」って気持ちしか無いのですけど(たまに、ものすごく寂しく感じる日はありますが、元気です)、確かに、「ただいま」「おかえり」があった実家なら、休日に家でごろごろしてても家族がいたり、猫に「あそぼう」「かまえよ」って踏まれたりしますので、仮に家から出なくても話すんですよね。

でも、一人暮らし始めた頃、たまに部屋に帰りたくない日がありました。部屋から出たくない休日もありました。そんなことを思い出して、共感しています。

あとは、自炊が面倒で、「なんだよこの夕飯は宇宙食かよ」みたいに思った日もありました。あの時僕は、「それヒトなのか気持ち悪いな」と言語化出来なかった。

 

また電気消し忘れたなトイレから希望みたいな光がみえる

一人暮らしの部屋はとても静かで、窓からさしこむ朝日、あるいは自分の部屋が美術館か何かに変えられるかのような西日の神々しさとか、団地の灯りとか、作品にもあるように、トイレの消し忘れた光とか、光に対しても敏感になった気がします。

実家だと、「誰だよ消し忘れたの」で済んでしまうことが、一人暮らし始めるとそうじゃないんですよね。だから「希望みたいな光」という表現は私にとって、とてもとてもリアルです。また、「トイレ」と「希望」が並んでいる点も、ユニークだと思いました。

 

なぜ生きているだけなのにこんなにも汚してしまうんだろうね世界

この作品は、「世界」と「人」の話として考えると、環境破壊とか風の谷のナウシカみたいなテーマにも繋がりますよね。環境に優しくするなら、人類は地球に対して多すぎるのかもしれない。

でも、一人暮らしの視点で考えると、「別に汚したわけでないのに、なんでこんなにゴミが出るの?」と驚きましたから、2つの視点で味わえる作品ですね。

 

自我がないはずなのになぜこんなにも勝手に出てくるんですかなみだ

理屈では、「いや、自我があるからでしょ」となるわけですけど、そうじゃないんですよね。「自我がないはずなのに」に至る何かの理由があって、あるいはそれくらい悲しいことがあったから、涙が出るのでしょう。しかも勝手に。

涙って不思議ですよね。泣けたらすっきりしませんか? 僕は、泣けなくなって何年経つかなあ。明らかに泣いておかしくないくらい悲しいことがあっても、「今、泣けたらどんなにかいいだろう」って、泣けないなあと思ってやりすごしました。

例えば、吐き気なら、喉に指を入れて吐くことは出来ますよね。

でも、僕は涙について、そういうの知らない。

「自我がない」を他者から言われたことでなく、深く酩酊して「自失している」ことと捉えることも出来るかなと感じました。いや、アルコール飲まなくても、茫然自失というくらいですから、激しいショックを受けたという、受け取り方もできるかもしれませんね。

家族と暮らしてれば「どうしたの」の一言がある状況ですけど、一人暮らしには、ない。そんなことも、思わされました。

 

誰もいないのになんとなく遅くには帰れない誰もいないのにな

連作の結びにおかれた一首です。

慣れちゃうと、終電で帰るのめんどくさいなとかスレてしまうのですが、一人暮らしを始めた頃を思い返せば、ほんとうにそうだねと思います。

理屈で言えば、実家で暮らしていた頃の、習慣やリズムがまだ残っていて、一人暮らしの習慣やリズムを構築しはじめたところだからなのでしょうけど、でもだからこそ、理屈ではしっくりこない、「なんとなく」とか「誰もいないのにな」が、私には美しく思えるのです。

 

返歌

また電気消し忘れたな玄関が誰にともなく「おかえりなさい」

 

なぜ生きているだけなのにこんなにも雑草生えてしまうのですか

 

「おかえり」と言われないけどなんとなく「ただいま」だけはまだ続けてる