短歌読みます、うたあつめ。

拝見した短歌への、返歌や感想を書く、公開ファンレターです。

RE 鬱憤もミスも昨日の口論も入れてがしがし混ぜる納豆

短歌の向こうに人生が感じられたから、この歌集は、短歌であり文芸であり、私にとって文学です。

 

ちるとしふと (新鋭短歌シリーズ39)

ちるとしふと (新鋭短歌シリーズ39)

 

 

焦って読むのが惜しくて、2日かけて読みました。

この歌集は、楽しくて、可愛くて、切なくて、胸がズキンとして、人生があって、とても充実した時間を過ごせました。

好きな短歌を見つけては、足を止めて、微笑んでみたり、自分の記憶を呼び覚まされたりすることは、本当に豊かな時間です。

たぶん、人生のある時期の喜怒哀楽がぜんぶここにあるのではないでしょうか。

膨大な作品の中から、こうして書籍にして下さったことに感謝します。

 

本が売れない時代で、本は高いと感じる方もいますね。
でも、私にとっては、1つ気に入った歌があれば十分元が取れるし、1つどころではありませんでした。付箋貼る代わりに、ドッグイヤー(ページのかどを三角に折ります)を作りました。読み終えて、書籍の背を持って小口部分を見ると、ちょっとしたバーコードみたいな状態になっています。

 

映画一つ見るより私には値打ちがあるし、夕食を一回外食するのやめても惜しくないです。好きな歌が多すぎて、全部引用するわけにいかないので、これでもかなり絞りました。

 

結婚はできない派でなくしない派でそれはさておき買う抱きまくら

結婚というデリケートな題材に対して、「できない派」「しない派」というのは、強がりもあるでしょうし、タイミングとか色々あることですから「放っておいて」という鎧というか魔法の言葉でもあるのかもしれません。

「それはさておき買う抱きまくら」は、でも淋しい気持ちが含まれるかもしれないし、この人だと思える人でないなら抱きまくらの方がぜんぜんマシってことかもしれない。

あるいは、「今、ほんと興味無いんで」と、「できない派・しない派」の話のあとで、膝かっくん入れられる感じもあるのかなと受け止めました。

 

目のツボを押さえて肩をほぐしつつキラキラ女子を描き上げていく

イラストレーターさんという、憧れる人が多く、華やかに見えるお仕事の舞台裏を見せてくれます。一つ上の抱きまくらの歌でも感じたのですが、少し突き放して著者がご自身を見ているようにも感じられます。卑下してるわけではなくて、「お仕事ですから厳しいですよ」って現実と、そのお仕事から生み出される「キラキラ女子」との対比が鮮やかですよね。

 

思いつく限りのifを書き足したソースコードで挑む告白

この歌は「if」だけだったら、魅力が減ってしまうと私は感じます。「ソースコード」という言葉が入ることで、それは例えばPython等をイメージすると、「思いつく限りのif」が入ってるわけですから、そのソースコードが動けば、告白される側はどう答えても(はっきり断るならともかく、好きで揺れてるなら)逃げられないねと思いました。

そんなイメージを「挑む告白」に乗せて読むと、私はなんだか応援したくなってしまいました。

 

おとなでもさみしい夜はありますかそのせいですか膝を抱くのは

千原さんの詠まれる短歌には時々「なになにですか」という言葉が出てきます。すごく魅力的です。子どもの頃は大人もさみしいことを知らなかったから、僕は、膝を抱く習慣は無いけれど、それでも、強く共感しました。

 

今わたし無敵なんですこのあいだもらった星のピアスをつけて

この歌は、可愛いし、テンションが上がる、生命力が満ち満ちるというか、心地よい高揚感に包まれている様子が、とても魅力的です。プレゼントをした方は、当然、大切な人に贈ったわけだから、こんな風に「無敵」になってくれる方だと、贈り甲斐がありますよね。

また無敵といえばマリオ、無敵といえばスターですので、偶然かもしれないですが、もしかしたら著者さんの遊び心も入ってるのかなと感じました。

任天堂さん、コラボとかどうですか……と、心の中に話しかけておきます)

 

惜しみなく降らせるほどの愛はあり少し蛇口を固くしておく

これに関しては、大事な関係だから、度が過ぎないようにと自戒される歌かなと受け止めました。考えられること何もかも全てしてあげれば、人間関係おかしくなりますし、してあげた側は潰れてしまいますよね。

また「降らせるほどの愛」と「蛇口」という表現にも惹かれます。愛を雨に例えることも、その「蛇口」を固くすることも、変ではないのですけど、正確には「愛が雨を降らせる」のなら雲があるはずで、雲の元栓のような存在を「蛇口」と表現されたことが、私には楽しく感じられました。

 

奇跡にもおしまいはくる帰り道いつものとおり無口になるね

これはきっと、奇跡みたいに楽しい一日だったのでしょう。「帰り道」とあるから、デートとかかなと感じました。なかなか休みが合わないとか、どちらかの繁忙期が入ってしまったとかで、やっととれた奇跡みたいな一日が奇跡みたいに楽しくて、でも帰らないといけない。不機嫌で無口になるのではなくて、たくさん言いたいことあるけれど、お互いに、相手を困らせてしまうから、言えないこともあるでしょう。

「もう数日休みだといいのにね」「そうだね」みたいに、言えるほどは、まだ関係が強固でないのかもしれませんね。

「奇跡にもおしまいはくる」という表現、言葉の使い方にも魅力を感じます。

何らかの奇跡なのですから、終わらないで欲しいじゃないですか。

でも終わる。容赦なく終わる。

 

「今日暑い」「昼はドトール」「帰るよー」言いたいことをぜんぶ飲み込む

こういう会話を好まない方を好きになったのか、普段は言えるけど相手が繁忙期等の事情があるのか、あるいは著者さんが何かの理由で言えないだけなのか、色んな読み方ができると思います。ドトールがお好きなのか、職場の近くにドトールがあるのか(ドトールは象徴的に使われただけかもしれない)、色々理由はありそうですが、私はお昼休みが短い時にドトールやコンビニを使いましたから、もしかしたらドトールに出てくるのがやっとなくらい著者さん自身が忙しいのかなと思いました。

だとすると、「言いたいけど、言う気力もないくらい仕事しんどい」時かもしれないですよね。

 

猫化してしまいますからそれ以上あたまを撫でるのはやめなさい

「やめてよ」とか「触らないで」とかではなくて「やめなさい」なのが、いいなあと思いました。頭を撫でられて猫化するなら、恋人は「どうぞ」って感じかもしれませんよね。私には、「やめなさい」が、くすぐったそうとか、照れくさそうとか、そういう心情なのかなあと思えて、この歌がとてもチャーミングに思えました。

あ、猫好きなので、猫補正も入ってると思います。

犬も好きですけど、犬化って言われると「遠吠えするの?」というか、いまいちイメージが浮かばなくて……。でも、犬がとにかく好きな方なら、あるいは「犬化」で「ほほう」と何かイメージが届くのかもしれませんね。

 

鬱憤もミスも昨日の口論も入れてがしがし混ぜる納豆

私は朝食をイメージしました。納豆は夕食で口にしてもおかしくないですが、「昨日の口論」を翌日の夜も「がしがし」することは自然なことではありますが、寝て起きて不機嫌で「あー、もう」って叫ぶ代わりの様子かなと受け取る方が、私には受け取り易かったです。

「鬱憤」の理由は不明です。「昨日の口論」は「ミス」が職場の出来事のはずだから、おそらく恋人、あるいは家族など近い距離の誰かだと読みました。

「もう、とにかく全部うまくいってない、あー!」ってことを、上の句に入れてしまえたことが凄いと思います。

でも、考えると、それらのことを納豆に「入れて」食べちゃうわけですから、「あー、もう!」てことを投げださないで、今日も挑むのでしょう。かっこいいです。

 

 

返歌

呼び出され思いがけない告白だ どう答えても何故か読まれる

 

おとなでもさみしい夜があるなんて あの日あの頃守られていた

 

帰宅して無敵モードで完璧な一日を駆け 燃え尽きている

 

猫飼ってしまいますからそれ以上あたしにその子近づけちゃだめ

 

 

僕は、すごく楽しめました。

書籍は本が動かないと、著者さんの次回作の他に、シリーズを続けることも難しくなるはずですよね。無理にとは言いませんけど、迷ってる方なら、お試しになることを勧めます。

ちるとしふと (新鋭短歌シリーズ39)

ちるとしふと (新鋭短歌シリーズ39)