短歌読みます、うたあつめ。

拝見した短歌への、返歌や感想を書く、公開ファンレターです。

RE たい焼きの皮を被った現実に睨まれたので尻尾からいく

言葉の選び方なのか、感性の違いなのか、精神的な構えというか立ち方みたいなものの違いなのか分からないですが、曰さんの短歌って、カッコよさを感じます。

甘すぎず、ビターとは違う何か。ロックでしょうか? スパイス的な何かでしょうか。

じめっではなく、さらっとしていますよね。

 

「ゆっくりでいいよなんならこの本を読み終わるまで来なくていい」

この作品は、私には2つのイメージが浮かびました。

一つは、ツンデレ風味で、強がって虚勢を張っているけど、内心は早くこないかなって、すごく待っている状態。キュートですよね。

もう一つは、言葉通りで、好きだけど、毎日ぴったり居たいわけじゃない時期にも見えます。一つの歌で、二度美味しい。

あ、そうか。

好かれてるのは分かってるけど、どうしようかなあ、友達でいいんじゃないかなあ、みたいな、まだ付き合ってない関係でも不思議ないですね。

二度どころではありませんでした。

 

「たい焼きの皮を被った現実に睨まれたので尻尾からいく」

たい焼きを頭から食べるか、尻尾から食べるかって話をしたりしませんか。今の所、「お腹から」という方は存じ上げないです。単に、私が知らないだけかもしれませんよね。そんな身近な話題に、「被った現実に」を組み込むことで、比喩として「何か」があって、「尻尾からいく」ような対応をとったことが想像できます。

何があったかは分からないですが、気構えは伝わってくる。惹かれます。

 

「学校にお泊りをしたかばんから溢れ出てくる学校の夜」

私は、忘れ物しない子でした。どちらかというと、貸してあげる側。高校生になっても、教科書とか辞書とか一式持って歩いてました。要領のいい友達は、学校とか自宅に置きっぱなしにして、友達から借りてたりしましたね。

だからこそ、「学校にお泊り」という表現に惹かれます。きっと、私にとって非日常具合が高まるのでしょう。「図書館にお泊り」とかも夢がありますね。

これが、同じ忘れ物でも、「学校に置き去り」とか「学校で遭難」とか「突如透明人間的なカバンに」とか、他の表現にしてしまうと、柔らかい優しい雰囲気が無くなります。

「溢れ出てくる学校の夜」は、まるでかばんが「あのね、一晩泊まってこんなことがあってね」と、何かを話してくれるかのように感じられ、楽しいです。

 

返歌

慌てずになんならこれを読み終える時にピッタリ現れてみて

 

たい焼きの皮だけ好きな彼女です「はい」じゃないでしょアンコ2玉

 

学校にお泊りとなる私ですもう慣れました気にはしてます