短歌読みます、うたあつめ。

拝見した短歌への、返歌や感想を書く、公開ファンレターです。

RE 昼寝して夕方、近所の銭湯へ まるいイルカの子供を連れて(*´ω`*)

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いいすねー。

めっちゃ平和で満ち足りた優しい時間ですね。

そのお銭湯が、「子どもはいくらね」って普通に「イルカの子供」もお客さんとして受け入れてくれたら愉快だな。テルマエ・ロマエの番外編が作れそうです。

 

イルカといえば、漢字で「海豚」って書くんですよね。

語源とかどうなってるんだろう。

 

イルカ賢いですから、「失礼しちゃう」って思うのでしょうか。

それとも、人間と違って、悪い意味で「豚」と使わないので、「似てるとこある?」とか、鷹揚かつロジカルにくるのか、謎は深まります。

 

RE 懐へ飛び入る虫に荼毘の火を 鶴翼の陣 扇を閉じよ(# ゚ Д゚ )

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www.jp.square-enix.comロマサガで陣形ってあった記憶が。少年時代に遊び倒して、懐かしくて、プロジェクターで壁に投影できるようにして、iPadで遊べる環境を作りましたし、スマホにもアプリ入れているのですが、1mmも遊べていません。しくしく。

「ゲームは好きだけど、遊ぶ気力も体力も無い(優先順位が下がる)」日が来るとは、少年時代に予想もしませんでした。ていうか少年時代の自分に話しても信じてくれない気がします。

 

さて。

三国志三国志は何度か挑戦したのですけど(原作もゲームも)、私には不向きでした。西遊記ならわかるんですけどねー。ざっくりいうと、三蔵法師がだいたいうっかりしてて、弟子たちが「またかよ」「まじかよ」ってなるお話。

現代の名作とか、そろそろ古典になりそうな作品にも影響を与えた作品ですから、理解したい気持ちもあるのですけど、例えばぼんさんみたいに「既に知って楽しんでいる方」に、どう楽しんだかを伺うのも楽しかったりするんですよね。

RE 打ちつけて白の散らばるビル街を 陽が振り上げた手槌の方へ

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声に出して作品を鑑賞すると、「手槌の方へ」がなんとなく「鬼さんこちら」みたいな感じで、好きです。

 

夏の日差しは、「焼ける」ような強さがありますね。

冬の日差しも言われてみると、「こ、こおる。舌がまわらない……」みたいな時に、ふいに強い日差しと出会うことがあります。

 

陽の光が、まるで水しぶきみたいに輝いてる、みたいな情景かなあと思うのですが、「打ちつけて白の散らばるビル街」という表現が心に残ります。

水墨画みたいというか、ぼんさんが「はっ」とか「あっ」て思われたであろう瞬間の切り取り方が、グラフィカルですよね。

 

自分にはない視点にふれることができるのも、短歌の魅力ですね。

RE ボキャ貧は言葉巧みに言葉ひとつで 喜怒哀楽が表現できう(๑•̀ㅂ•́)و✧

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短歌は言葉ですけど、カメラもあるし、ファッションもそうだし、表現って様々なやり方がありますよね。ぼんさんが文章で言及されていたテイラー・スイフトの魅力は、私の価値観では語彙力が高いことになります。発表することではなく、リスナーの胸に刺さるように届けることが目的だから。脱線すると、シンプルな英語だと気づける点はぼんさんの強みですね。私は英語苦手ですから。

 

「マジで」「ヤバイ」「ウケる」とかで、「楽しい」を高速にやりとりできる方たちをたまに見かけますけど、あれってジャーゴン(仲間内でのみ通じるスラングくらいの意味でのジャーゴン)を用いた、高度なコミュニケーションなんじゃなかろうかと思ったりしています。

 

話を戻すと、「漢和辞典持ってきて!!」みたいな言葉を使わずに、平易な言葉で、「届く」ように表現できるって、力ですよね。

RE 純不動コタツ・蜜柑に一杯の しらすが香る釜玉うどん

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おうふ(謎の悲鳴)。

40代前半のおじさんとしましては、50代を見据えて体を作り直しています。正直、育ち盛りの10代とか学生時代とか20代より仕上がってきています。

「だんだん脳筋になってきた?」と、周囲に言われているとかいないとか。

ええ、筋肉とプロテインは(ry

 

そんなわけで、ガチでレコーディングダイエットしているわけです。カロリーだけでなく、摂取タンパク質も記録しています。最初、カロリー下げすぎて人生初の貧血体験するとか、むちゃくちゃしました。なので、お餅まだ食べていませんし、おうどんもお蕎麦も最近は口にしていません。

 

かつ、リアルのぼんさんを少しは知っている者としては、お料理上手なのも存じ上げていますので、ええ、それはもう(ry

 

おコタ、みかん、猫、至福の時間ですけど、猫とこないで、最高に美味しそうなおうどんが投入されるあたりに、この作品の魅力を感じます。

 

「今、これが気に入っている」って眼差しは、それこそ「春はあけぼの」じゃないですけど、平安の昔からあったし、考えてみると短歌って、作者の感受性や琴線に触れたなにかが登場するのですけど、それってその方の「宝箱」を見せて頂くことと似ているなあと思わされたのでした。

 

追伸

減量と体つくりが終わったら、ぼんさんお手製のうどん食いたいっす……

RE 猫が食うと決めていたあのノーチラス ショップ奥でにらみ返す目

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食べたことないものは食べられない。偏食とかの他に、冒険しにくい個性もあります。僕が暮らした猫たちは、「すっげえいいにおい」と反応しても、基本カリカリで生きているので食べられなかったですね。噛み付いてみるとかが精一杯。なので、ぼんさんの猫さんは、なんでも挑戦できるすごい子だなあと思いました。

作品に関しては、人と猫の関係性は、ペットショップで静かにしているノーチラスには関係ないわけで、ノーチラスからの眼差しを疑似体験できる気もします。

「私を飼育するとか、この狭い場所に連れてこられたこと自体不本意なのに、なんか食べる話し、してたよね?」みたいな。

RE 夕暮れにギターを背負う影長くまだやれるって信じてた頃

 

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筆を置くといいますが、楽器を愛した方たちが、自分の限界と直面するときも、楽器を置くのでしょうね。「趣味」として付き合うとか「特技」と呼べるようになりたくて、戦ったわけじゃないですよね。

 

山を登るのと同じで、登るほど難易度が上がるように思います。肩に食い込む「楽器」の重さを意識せずにガンガン登れる方もいれば、「楽器」の重さを理解してひたすら地道にゆっくり登っていく方もいるでしょう。

この作品の場合、とても興味深いのが影の扱いです。「信じてた頃」を客観視していますよね。信じてた頃の主体は、もしかしたら疲れ知らずだったかもしれないし、背負ったギターも重くなかったかもしれないし、自分の影が長く伸びていることも目に入らなかったかもしれないですね。

 

熱中できるなにかに打ち込むという「魔法の時間」が解けると、何かしらのスキルや手応えと、苦味が残るかもしれませんが、この作品は「節目」とか「瞬間」を切り取られていて、何が残ったかは読者に委ねられているのも、スマートだと感じました。