RE 六畳の部屋を見つけたダンゴムシは 全速力でむにむに進み
この年末の忙しい時に、体作りもはじめました。
それは時間なくなりますよね。
生活習慣と食習慣見直して、運動量キープするだけなのですが、鍛えてみたら3時間歩くだけで1700kcal消費できるようになりました。(※これ平均的な女性だと4メッツで運動したと考えると、同じだけ努力してるのに700kcalの消費になります)
2500kcal食べても、6日で脂肪1kg削ることができる計算ですね。
知人の女性で2名、拒食症で脳にダメージは受けなかったけど、入院して苦しい治療経験された方がいます。もともと女性のダイエットは無理しないで欲しい気持ちでいたのですが、代謝上げてタンパク質を適量とって、どれだけ代謝キープするかの方が大事だと理解して思うのは、女子マジ偉いとしか……。
「痩せろ」って体の仕組みを理解せずに言う男子には、1200kcalとか、断食とか体験してもらうといいと思うんです。食べないとか空腹は我慢できても、お水口に出来ないのは本当に苦しいから。
以上、近況報告でした。生きてます。筋肉増えました。
ぼんさんの短歌、久しぶり><
ダンゴムシにとって六畳はどれくらいの広さになるのでしょうね。
私は一人暮らしで、衛生的ではありますけど、女子には「耐えられない」って頭抱えられる自信しかないお部屋です。散らかしてはいませんよ。ただ、「部屋」というより、戦うための「港」みたいな気持ちでいるので、秘密基地+倉庫みたいな状態です。ええ。
その点、ぼんさんは素敵家具で居心地の良い空間作るセンスが優れているので、ぼんさんちをむにむに歩いたダンゴムシは幸せだよねとしか。
「むにむに」はダンゴムシに係る言葉ですけど、これ主体の優しいまなざしとか余裕も表現していますよね。「あ、ダンゴムシ。つまみ出さなきゃ!」とかではなくて、「いたいなら、そこにいてもいいよ」みたいな眼差しに感じられるから。
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私信
>ぼんさん
忙しすぎてご心配かけていますが、必須栄養取っているので、忙しかったり、トレーニングで心身ともにクタクタだったりするだけで、めっちゃ体調いいです。大丈夫。
RE 灰色のビルがむくむく生えている 同系色にけむる空まで
「同系色にけむる空」って表現がいいですね。
たしかに、空が低い日は、ビルが空に溶けてしまいそうに見えることもあります。
あるいは、ガラス張りのような作りの建物だと、快晴の青にも、夜の黒にもうまいこと溶け込むんですよね。
「むくむく生えている」だから、有機的にとらえている視点も心に残ります。
山とか湖とか眺めるのも楽しいですけど、ビルはビルで味わいあるんですよね。
RE まな板に刻んだネギをなべにやる あたためた湯のみそはモクモク
RE 死亡エンドと決まったルートの入り口でただ「死ぬなよ」と言うだけの人
最近の百首からです。新鮮なので生でお召し上がりいただけます。#tanka pic.twitter.com/e3NewNqdFL
— 岩倉曰 (@wakuwakuiwaku) 2018年11月27日
お久しぶりの岩倉曰さんワールド。
何もかも忘れたかった爺さんが刈っても刈っても柴は尽きない
日本一のきびだんご作っちゃうあのおじいさんを連想せざるを得ません。何があったのでしょうか。理屈で考えれば、あのお爺さんが芝刈りしようがしまいが、芝はどんどん生えてくるわけですけども、「何もかも忘れたかった」ことが尽きない感じが伝わりますよね。
で、死亡エンドに関しては、2つ受け止めが出来ると思うんです。
あ、3つか。「死亡エンド」と分かっていないケースが一つ。
つまり、主体は「詰んだ」と理解して、自分のエンディングの準備に取り掛かっているとしますよね。対して「死ぬなよ」と言うだけの人は日常にとどまったままなのかもしれない。
一つは、単に無責任な人・痛みが分からない人。「言うだけの人」という表現から、これが一番ありそうかなあと感じています。
最後は、「死亡ルート」だと理解した上で、「普通」を演じてくれる人。私はこのタイプの方が好きです。全部分かってるけど、私は私で、君は君でマイペースで行こうかみたいな。
楽しませて頂きました。感謝。
RE 外に出たい訳じゃないんだそうじゃない …
外に出たい訳じゃないんだそうじゃない
— 祐 (@you31tanka) 2018年11月18日
ここにいたくないだけなんだ#tanka #短歌
外に出たい訳じゃないんだそうじゃない
— 祐 (@you31tanka) 2018年11月18日
あなたとどこかに行きたいだけです。#tanka #短歌
大人になると寂しくなくなると思っていました。
幼稚園児や小学生と比べて、あるいは20代で何者かになろうとがむしゃらだった時期と比べて、出来ることは増えたかもしれないです。
例えば、何がどう寂しいのか自分の内側を見て、言葉にして理解する精度は上がりました。それだけです。
祐さんの2つの作品を拝読して、そんなことを思いました。
別に居場所が無いわけじゃないのに、なんかここにいたくない日もある少年でした。
今もそんな日があって、我ながら呆れています。
もう一つは、大切な方が優しいけど少しズレてるのかなとほっこりしました。
言わせるなよ察してよって文化で育っていないので、今でも時々、友人に「全部言わせるな」って苦笑されたりします。私は照れて言えないタイプではないので、伝えないように自重することはあります。でも主体はもしかしたら、「ちがうんだけどなあ」と、もどかしさを抱きつつ、でもきっと穏やかな空気があるはずで、言葉にすることで空気が変わるのもなあと言えないのかもしれませんよね。
2つの作品は「今」かもしれないし、同じ主体の心の成長の過程を切り取ったかもしれないですよね。様々な受け止めのできる、魅力的な作品だと感じました。
RE 夕立が降ったからって泣きじゃくるのをごまかせるわけじゃなかった
夕立が降ったからって泣きじゃくるのをごまかせるわけじゃなかった#tanka #jtanka
— 根本博基の短歌 (@c6iOEExLqVzWBYc) 2018年11月24日
心の中は雷雨で、外に溢れてしまった感じかもしれないですね。
台風みたいな豪雨なら、気づかれにくいかもしれないですけど、まったくの他人でも気にはしますし、友人とか大切な人であるなら、放っておいた方が(見守った方が)いいのか、どのタイミングでケアすればいいのか、迷います。
音もなく、つーっと涙がこぼれるくらいなら夕立で隠せますよね。ある意味、優しいベールみたいな役割をしてくれる夕立でも、隠しきれないほどの悲しみ、あるいは痛み。
あまり感情を表に出したくない方だとしたら、「見てなかったよ」「何もなかったよ」と、いつも通りに接してくれることが嬉しいかもしれないですね。
自分の心が揺れている時だからこそ、港の灯台みたいに、いつも通りそこにいてくれることが重い。
そんなことを思わされました。
RE 帰りみち葉をしきつめたその上を クチャクチャと鳴る音の真上を
クチャクチャというのが面白い。
あと、偶然友人と会ったくらい地元の仲間でもあるので、「帰り道」はどのルートかなとか、どこらへんの落ち葉かなと想像してしまったりします。
まじ寒いです。
立派な並木道があるので、落ち葉すごいんですよ。日中、お掃除して下さる方がいらっしゃるのですが、それでも追いつかない葉っぱ大量です。
小さな子がはしゃぐし、新雪を踏みしめるのが楽しいみたいに、大人も童心にかえってたりしますね。街はいつもの街のはずなのに、四季がゆっくりと変化していくと、こんなにも表情が変化するものなのですね。
で、その「真上」を、誰よりも真剣かつ楽しんで歩いているのは、朝夕のお散歩してもらってるワンコかなあと思ったり。
ぼんさんの264までの作品は、音声で37分くらいかな、感想話させて頂きました。
よろしければお付き合い頂ければ光栄です。